「沈黙」は語る スコセッシ監督 特別な作品、歳月かけ公開 - 東京新聞(2017年1月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2017012602000185.html
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「積年の思いを完成させることができた」。映画「沈黙−サイレンス−」の公開に当たり、マーティン・スコセッシ監督(74)は感慨深げに語った。遠藤周作の小説「沈黙」を読んだのが一九八八年。出会いから二十八年、歳月の重みに名匠の思いがあふれ出た。 (鈴木学)
映画は、キリシタン弾圧が激しい江戸初期の長崎を舞台に、ポルトガル人宣教師の目を通して人間にとって大切なものは何かを描く。「タクシードライバー」「ディパーテッド」などで知られるスコセッシ作品には、社会の矛盾に葛藤し苦悩する主人公も多い。本作でも拷問に苦しむ信者たちを前に、宣教師のロドリゴアンドリュー・ガーフィールド)が自らの信仰を捨てれば彼らを救うと迫られ、信仰か、棄教か苦悩する。
キリストを悩める一人の人間として描いた監督作「最後の誘惑」(一九八八年)に議論が巻き起こる中、ある大司教から手渡されたのが「沈黙」だった。カトリック信者の監督は、ロドリゴにキリストの受難のような感覚を覚え、共感した。鎖国の日本にロドリゴの潜入を助け、後に裏切るキチジロー(劇中は窪塚洋介)にいら立ちを感じたが、人間の弱さの象徴的な存在として「われわれそのものだ」と気付いたという。
「キチジローが言いますよね。『弱き者の生きる場はあるのか』と。この作品はまさに弱き者をのけ者にせず、受け入れよと言っているんだと思う」
日本におけるキリスト教という文化の衝突を描く作品でもある。やはり文化の違いから監督自身どう作るべきかの答えが見つからず長い年月を要した。十代で溝口健二監督の「雨月物語」を見て以来、日本の映画や文学で美学や死生観に触れてきたが、さらに日本文化を自身に染み込ませなければならなかった。「壮大な学びの旅だった」と振り返る。
窪塚のほかにも、浅野忠信イッセー尾形塚本晋也ら多数の日本人俳優が出演。隠れキリシタン役の塚本は、海で磔(はりつけ)にされるシーンに「もっとやらせてくれ」と気迫をにじませたといい、そんな日本人キャストたちに「勇気をもらった」と振り返る。
完成をみたが「これで終わりとは思っていない。今も映画とともに生きている感覚だ」。名匠にとっても特別な作品となった。