辺野古反対派リーダーに靴下差し入れ 主婦の言葉が警察動かす - 東京新聞(2017年1月18日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017011802000124.html
http://megalodon.jp/2017-0118-0957-35/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017011802000124.html

昨年十〜十一月の逮捕後、勾留が続いている沖縄平和運動センターの山城議長は今、東京都世田谷区の主婦大木晴子(おおきせいこ)さん(68)が差し入れた靴下を拘置所で履いている。靴下の差し入れは当初、警察が自殺防止を理由に拒んでいたが、「病後の山城さんには必要」と、大木さんが粘った成果だ。
山城議長は昨年末、名護署から那覇市内の拘置所に移された。大木さんが同署に出向いたのは移送前の昨年十二月二十日。山城さんが十月の逮捕後から、留置場で靴下の差し入れを望んでいるとインターネットで知っていた。結んでも首つりに使えない丈の短いのも含めて三種類を用意したが、認められなかった。
「私も山城さん同様、悪性リンパ腫を患った。免疫力が落ち、指先が冷えて眠れない夜もあります」。食い下がり、署員と三十分以上話した。署員は靴下の写真を県警本部に送信し、短いのだけOKが出た。
沖縄県警は本紙の取材に「靴下自体でなく、丈の長いものは自傷事故を防ぐため認めていない」と回答。だが、靴下の差し入れを三回試みた山城議長の妻は「靴下はダメと言われた。短いのなら大丈夫とか一切言われなかった」と話す。
大木さんはイラク戦争直前の二〇〇三年二月から、土曜の夕方に東京・新宿駅の西口で反戦プラカードを手に立ち続ける。ここは、一九六九年に当時二十歳の大木さんが若者たちとギターを手に反戦ソングを歌い、「フォークゲリラの歌姫」と呼ばれた場所だ。
「沖縄のおじい、おばあのしわはとても深い。沖縄戦や基地にまつわる極限の苦しみや悲しみを体験したから。犠牲を強いられてきた沖縄の人たちを孤立させてはいけない」 (辻渕智之)