(筆洗) - 東京新聞(2016年12月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016120802000139.html
http://megalodon.jp/2016-1208-0927-07/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016120802000139.html

「世の中には二種類の人間しかいない」と切り出す冗談がある。こんな類い。「世の中には二種類の人間しかいない。結婚を後悔している人間と結婚をしていない人間」。あくまで古い冗談である。
この種の冗談はごまんとあり、それを笑う作品もある。「世の中には二種類の人間しかいない。世の中の人間を二種類に分けるという人間とそうでない人間」。次のも良作。「世の中には三種類の人間しかいない。数を勘定できる人間とできない人間だ」。えっ笑えないと?失礼ながら読解力の問題か。
国際調査によると日本の十五歳の読解力が下がっている。科学や数学の成績は上がっているが、情報を読み取る力が弱いという。学び自体が本や教科書を読むことに始まる。初手の読解力が弱いとは心配になる。
読解力とはいうけれど、書き手である他人の意図や思いを想像して、くみ取る力でもあろう。だとすれば、それは「思いやり」の一種である。
さて先の冗談。文字を追ってもなかなか笑えぬが、笑ってやろう、何が面白いのかなと書き手の心にちょっと歩み寄って考えれば、これを口にした人こそ三と二を間違える「数を勘定できない人間」なのだというひねった笑いが見えてくるはずである。
大切な力を向上させたい。さもないと勉強、仕事は無論、人らしい生活も怪しくなる。加えて小欄の商売もあがったりである。