週のはじめに考える 「流しの公務員」が行く - 東京新聞(2016年11月27日)

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葛飾柴又ならぬ霞が関の育ちだが、寅(とら)さんよろしく日本全国どこへでも。仕事という冒険の旅を続ける「流しの公務員」。実は自治と自立の種まく人。
愛知県常滑市の前副市長、山田朝夫さん(55)=写真=とは十七年前、大分県久住町(現竹田市)で初めて会いました。
町役場の理事兼企画調整課長。当時、大分県知事だった故平松守彦さんの特命を受け、「持続可能な開発」の地域モデルづくりに取り組んでいた。
それから約十年後、名古屋市内で偶然再会したときは、愛知県安城市の副市長になっていました。
山田さんは、自称「流しの公務員」。聞き慣れない職業です。
山田さんが今月初めに上梓(じょうし)した「流しの公務員の冒険」(時事通信社)をひもときます。
東京・青山生まれの都会っ子。東大法学部を卒業し、自治省(現総務省)に入省します。霞が関では選挙制度改革などに、夜を徹して取り組む毎日でした。
転機が来たのは一九九一年、大分県への出向でした。
「地球にやさしいむらをつくろう。内容は君にまかせる」
平松知事が公害規制課長の山田さんに言ったのは、それだけです。戸惑いを引きずりながら、山田さんは久住へ通い詰めました。
それでも基本構想を策定し、畜産ふん尿の堆肥化や環境教育キャンプといったパイロット事業を軌道に乗せて、九六年、霞が関に帰任します。官僚としての前途は洋々、だが何か、もの足らない。
市町村の幹部を養成する自治大学校の教授を一年務め、「一般職で久住へ戻らせてほしい」と申し出ます。助役、副市長など特別職以外でのキャリア官僚の町村への出向は、前例のないことだった。「冒険」の始まりでした。

◆潜在力を引き出す人に
二〇〇三年、同じ大分県臼杵市へ移籍して、城下町の景観再生に手腕を発揮。〇六年、安城市に助役(副市長)として迎えられ、家庭ごみの減量などによる「環境首都」づくりをリードした。
そして一〇年、自治大の教え子だった片岡憲彦市長に請われ、再び一般職の参事という肩書で、常滑市へ赴任。経営破綻寸前だった市民病院の再生を託された。
副市長に就任した一二年には、正式に総務省を辞職して、退路を断った。そのころの常滑市民病院は毎年七億〜八億円もの赤字を計上し、「ぜいたく品」「死人病院」などと陰口もたたかれた。
しかし山田さんは、公募などによる「百人会議」を設置して、多くの市民と熟議を重ね、その結果、新築移転に踏み切った。
市民の期待を背景に、大学病院やゼネコンなどを巻き込んで医療スタッフや施設の充実を図りつつ、昨年五月、地域との「コミュニケーション日本一」を目標にする新病院を開院させ、収支の改善を見届けて、二カ月後には退職願を出しました。
山田さんは著書にこう書いた。
<「流しの公務員」とは「各地を渡り歩き、求めに応じて、単身、地方行政の現場に飛び込み、関係者を巻き込み、その潜在力を引き出しながら、問題を解決していく『行政の職人』」を意味する私の造語です>
読み終えて、考えました。
たとえば「市民病院」は、なぜ市民病院なのでしょう。なぜ「市立病院」ではないのでしょうか。
流しの公務員は知っています。 新病院を建設したのは役所でも、それが市民のものだとすれば、守り育てていくのは結局、市民の仕事だと。市民の意欲と力を引き出すことが自分の仕事だと。
ハコモノや制度がいくらできてもそのまちの本質までは変わらない。持続可能とは言い切れない。
霞が関で学んだことでもあるのでしょう。

◆事に仕えるのが仕事
山田さんに聞いてみました。
どうして“流し”になったのですか。
「組織ではなく『事』に仕えるのが仕事。仕事は現場にあるからです」
私たちの環境、防災、福祉、お祭り、交通機関…。私たちも「自治」の現場の真っただ中で日々を送っているはずです。
私たちのまち、私たちの暮らしが持続可能であるために、今ここで私にできる仕事はないか、探してみたくなりました。