「満蒙開拓」の悲劇語り継ぐ男性、両陛下と懇談 - JNN/TBS(2016年11月17日)

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天皇・皇后両陛下は、長野県にある「満蒙開拓平和記念館」を訪問されました。旧満州で起きた悲劇を伝える記念館へのご訪問は、両陛下の強い希望で実現しました。
天皇・皇后両陛下は17日午前、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」に到着されました。3年前に民間団体が設立したこの施設。昭和初期から国策として中国東北部・旧満州に27万人の農民を送り込んだ「満蒙開拓団」の歴史を伝えています。開拓団の農民は、終戦直前、旧ソ連の侵攻などの混乱で多くの犠牲者を出しました。
満州から引き揚げてきた人たちに以前から思いを寄せられてきた両陛下。説明を受けながら展示資料をご覧になった後、満蒙開拓団の引き揚げ者3人と懇談されました。
そのうちの1人が久保田諫さん(86)です。久保田さんは、開拓団での経験を「語り部」として語り継ぐ活動をしています。長野県で生まれ育った久保田さんは、1944年、14歳のときに単身で開拓団の一員として旧満州に渡りました。
「みんな胸膨らまして張り切ってやっている良い時代だった」(久保田諫さん)
しかし、翌年の8月15日に終戦。久保田さんの開拓団の近くで現地の住民による暴動が起きます。男性が軍に召集されていて女性と子どもしかいない開拓団は、集団自決の道を選んだのです。
この日は、およそ30人の来館者を前に自身の体験を語りました。
「子どもが何人もいるお母さんは、一番小さい子どもから我先にと首を絞めた。自分の帯ひもを解いたり、もんぺのひもを外したりして、子どもの首にひもを巻きつけて絞め殺し始めちゃって。最後に独身女性が残ったのを私と耳の不自由な先輩と2人で首を絞めて殺してしまって」(久保田諫さん)
当時15歳だった久保田さん。自分たちも死のうと先輩と石で殴り合いましたが、死ぬことはできませんでした。その後、先輩は病死。久保田さんは旧ソ連軍や中国共産党の強制労働に駆り出されました。終戦から3年後、ようやく日本へ引き揚げることができました。
「身近なところにつらい経験をされた方がいたことが驚き」(話を聞いた長野県の男性)
「実際に起きたことを細かく話されて本当に胸が詰まる思い」(話を聞いた長野県の女性)
久保田さんは、なぜ、つらい記憶を語り継ぐのでしょうか?
「それは平和を願ってのこと。私みたいに苦しい思いしてもこの世に生きていられたらまだいい。亡くなってしまった人は大勢いるから。再びあんなことは起きてはならん」(久保田諫さん)
満州での体験を話した3人に、天皇陛下は「こういうことがあったことを若い人たちに伝えていくことはとても大事です」と話され、皇后さまは「おつらい中、お話くださってありがとう。どうぞお元気でいらしてください」と述べられました。
「(両陛下は)できるだけ多くの人に語ってくださいと」(久保田諫さん)
今回の両陛下のご訪問をきっかけに開拓団の歴史や戦争の悲惨さが伝わることを久保田さんは願っています。(17日17:06) JNN/TBS