大川小判決 悲劇を繰り返さぬよう - 東京新聞(2016年10月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102702000138.html
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七十四人の児童が東日本大震災津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。避難指示の過失を仙台地裁は認め、遺族らに約十四億円の賠償を命じた。悲劇を繰り返さぬ徹底した対策がいる。
大川小は海岸から約四キロ離れている。大地震が発生して、津波が押し寄せてくるまで、学校側の判断で児童は校庭で待機していた。五十分間ほどだった。避難を始めたのは、津波が来るわずか一分ぐらい前で、大勢の児童が犠牲になってしまった。
五十分という時間を考えると、もし適切な避難指示があれば救われた命だっただろう。避難も津波が来る川の方向だった。校舎のすぐ裏には山があり、一、二分でたどり着ける。「山に逃げましょう」と児童が先生に訴えた証言もあったという。
教職員は防災無線やラジオなどで、大津波警報や避難指示が出ていることも知っていた。サイレンが鳴り、市の広報車が高台への避難を呼びかけてもいた。それでも学校側は「待機」の指示…。児童は自らの判断で避難することもできなかったのだ。
川の堤防の高さは海抜六メートルから七メートル。大川小に来た津波の高さは八・七メートルだったと推定されている。川に向かって避難したのは、結果論としては誤りだった。
仙台地裁が「津波は予測できた」「避難指示に過失があった」とし、二十三人の原告遺族らの言い分を認めたのは当然である。市と県は大川小は浸水予想区域外で津波は予測できず、裏山は崩壊や倒木の恐れがあったなどと反論していたが、それは退けられた。
何よりも遺族側の不信が募ったのは悲劇後の市側の対応にも問題があったからだ。不在だった校長が現場に来たのは六日後だし、生き残った教諭らの聞き取りメモも市教委が廃棄していた。児童の証言も「確認できない」という態度だった。不誠実で責任逃れの姿勢だったのではないか。第三者委員会も設けられたが、結局は真相までたどり着けなかった。
地震はまた来る。その時に備えた十分なマニュアルは不可欠であるし、常に見直しもいる。日ごろの避難訓練も必要だ。大川小の場合は、津波が来た時の避難場所は「高台」となっていたが、高台とはどこかが決めていなかったという。事実なら論外である。
今回の判決は、全国の学校防災のあり方につながる。子どもは学校の管理下にある重みをかみしめてほしい。