連続学習会2016年度 第3回 わたしのまわりの戦争の話

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わたしのまわりの戦争の話

講師 山根靖則さん(前石川県議 元教員)
日時 2016年11月7日(月)18時30分〜20時30分
場所 四谷地域センター11階:集会室2
(地下鉄・丸ノ内線 新宿御苑前駅徒歩5分)
主催 子どもと法21

教職退職後昨年4月まで長い間、石川県議をされてこられた山根靖則さんは「航空自衛隊小松基地爆音訴訟」原告の一人です。損害賠償と飛行差止を求め全国に先駆け1975年に提訴したこの訴訟は、5、6次訴訟が金沢地裁にて係属中です。
その山根さんの原点は「父が硫黄島で戦死した戦争遺児」ということです。沖縄と同じく地上戦(住民の生活もあったが強制疎開)が繰り広げられた硫黄島

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自国の領土なのに遺骨収容は遅々として進まず、戦後70年となった今も約11,000人分が見つかっていない。凄惨な歴史を持つ島に、今も帰れぬ人たちが眠っている。(東京新聞2015年2月15日の記事)
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硫黄島の遺骨収容が始まったのは、島がアメリカから返還された1968年。それから40年余り、作業は年1、2回だけ。ようやく本腰を入れ始めたのは民主党政権の2010年8月。
こうした状況にある硫黄島遺骨収集ですが、山根さんは1983年に遺骨収集に行き、『硫黄島遺骨収集記』(1983 年)、映画『父のいる島』(同年)でその模様を発表されています。
また、1980年代に石川県教組が全容を明らかにした「第二能登丸」事件。山根さんはその模様を映画化する中心にいました。山根さんは「あの戦争」を原点として「あの戦争の問題といま」をずっと追究してこられています。権力者は戦争放棄平和憲法は「押し付け」と言いますが、人民(人々)にとってそれはリアルな希望だったのではないでしょうか。改憲が現実化してきたいま、日本国憲法の意義を再度確認するためにも、山根靖則さんからお話をうかがいたいと思います。

案内チラシPDF
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激戦の島 帰れぬ遺骨 硫黄島 1万1000人分残る:伝言 あの日から70年 - 東京新聞(2015年2月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/dengon70th/CK2015021502100004.html
http://megalodon.jp/2016-1024-0945-32/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/dengon70th/CK2015021502100004.html

硫黄島の戦い 1945年2月19日、米海兵隊の上陸作戦により始まった地上戦。栗林忠道中将を総指揮官とする旧日本軍が激しく抵抗し、史上まれに見る激戦となった。組織的な抵抗が終わったとされる3月26日までの1カ月以上の戦闘で、日本側は守備兵力の約2万2000人が戦死、米側も6800人の死者を含む2万6000人が死傷した。
東京都心から1250キロ南の硫黄島。太平洋戦争末期の1945年2月に始まった日米の激戦で、日本兵約2万3000人のうち95%が命を落とした。自国の領土なのに遺骨収容は遅々として進まず、戦後70年となった今も約1万1000人分が見つかっていない。凄惨(せいさん)な歴史を持つ島に、今も帰れぬ人たちが眠っている。