(私説・論説室から)できる、できるさ - 東京新聞(2016年10月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016101902000134.html
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施設を出てから、工事現場の日雇い仕事などにつく。アパートを借りようにも保証人がおらず、車の中や公園で寝たりする日々だった。履歴書の家族の欄に親の名前が書けないので、定職につくのも難しかった。
佐々木朗(あきら)さん(47)は、生後四カ月で乳児院に預けられ、その後十六歳まで児童養護施設で育った。両親は若すぎる結婚に失敗し、離婚した。佐々木さんは父親に引き取られすぐ、施設に預けられたという。
小四の時に施設の生活指導職員が代わり、生活が一変する。ささいなことで殴る蹴る。職員による暴力はエスカレートした。集団で脱走したことも二、三度ではなかった。幼い頃、何もかもあきらめていた。心の中のすべては「孤独と愛情への渇望、諦め」だった。
就職が難しいのなら自分で会社を起こそうと、二〇〇一年に建築内装業の会社を設立する。養護施設出身者を積極的に採用した。
「僕のような生い立ちの子どもを減らしたい。さまざまな事情で子どもを施設に預けざるをえないような家庭に、そうなる前に手を差し伸べたい」。佐々木さんは昨春、東京都の稲城市議選挙に出馬し、初当選した。
「今、施設で暮らす子や卒業し壁に当たっている子どもたちに『養護施設で育った人間でもここまでやれる』ということを身をもって示し、希望を届けたい」。こうした思いを胸に、議会での質問に立つ。 (上坂修子)