戦中出版「内閲」の跡 内務省、検閲前に掲載可否判断 - 東京新聞(2016年10月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201610/CK2016101702000253.html
http://megalodon.jp/2016-1017-1547-17/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201610/CK2016101702000253.html


戦前から戦中にかけ、出版物の検閲を担っていた当時の内務省が、雑誌などに掲載予定の原稿を事前に読んで掲載可否を判断した「内閲」と呼ばれる業務の痕跡を示す「校正刷り」が、東京都目黒区の日本近代文学館に保管されていることが分かった。戦時下での出版検閲の実態を解明する上で貴重な資料だ。(久間木聡)
校正刷りは、直木賞作家の故・小山いと子さん(一九〇一〜八九年)が日中戦争の始まった三七(昭和十二)年、雑誌「日本評論」の依頼で執筆した小説「指にある歯型」の計二十枚。同館の依頼で調査に当たった中京大文学部の浅岡邦雄教授(68)=近代出版史=によると、一枚目に「図書課長」「事務官」「理事官」の印があり、旧内務省図書課による内閲業務の跡と判明したという。
「陰惨。醜穢(しゅうわい)。残忍、背徳…凡(あら)ユル不健全ナル文字ノ羅列多シ」「『嫁をいぢめる姑(しゅうとめ)』『姑に反感を抱く嫁』の葛藤を描写したる小説なるか…描写極端にして国民道徳上不穏当なるに付(つき)」など、複数の検閲官の書き込みが残る。問題視した文章を赤や青の色鉛筆で丸かっこで示し、「◎」「?」「△」などの記号を施した箇所もある。
雑誌掲載は許可されず、戦後の四七年、短編集「夫婦」に収録された。小山さんは五〇年に「執行猶予」で直木賞を受賞した。
戦前の出版物は「出版法」「新聞紙法」の規定で、書籍・新聞・雑誌のいずれも、発行前に旧内務省に納め、検閲を受けることが義務付けられていた。これとは別に同省は、出版社の依頼で、一七(大正六)年ごろから、原稿や校正刷りの段階で中身を確認する内閲を実施。二七(昭和二)年以降、いったん廃止されたが、戦争が激しくなる三七年ごろから復活した。
浅岡教授は今年三月に調査結果を論文にまとめ、「日本近代文学館年誌」十一号に発表した。今回見つかった校正刷りについて「戦後になって、何らかの形で旧内務省から流出したのでは」と推測。「内閲は出版法、新聞紙法に規定がなく、あくまで便宜的措置だったため、校正刷りの存在はこれまで知られていなかった。検閲業務に当たった人物のコメントや記号が記されており、第一級の資料だ」と話している。