「道徳の教科化(2) 懸念は何か(専修大学教授 嶺井正也)」 - NHK 視点・論点(2016年09月28日)

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現在、小中学校では、週1時間、「道徳の時間」という枠があり、子どもたちはそこで道徳を学んでいます。それが小学校では再来年2018年度、中学校では2019年度から、「特別の教科」として教えられることになります。

道徳が「特別の教科」となると、現在と異なり、教科書と評価が導入されることになります。
この「道徳科」の授業では文部科学大臣の検定に合格した教科用図書、いわゆる教科書を使わなければならなくなります。ただし、他の教科とは違って数値ではなく記述式の評価を行います。また、「道徳科」を教えるのは、免許をもつ専門の教員ではなくこれまで通り学級担任の教員になります。このように他の教科とは異なる枠組みで実施されることから「特別の」がつく教科といわれます。

道徳が教科になったこと、これは戦後の学校教育における道徳教育の大きな変化を意味しています。
1947年から始まった第二次世界大戦後の学校教育では、道徳を特定の時間や個別の教科のなかで教えることはありませんでした。

それは戦前の「親孝行」からはじまり「忠君愛国」までを説いた「教育二関スル勅語」にもとづく「修身科」で国定教科書をつかった道徳教育が行われてきたことへの深い反省があったからです。
しかし、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立する頃から、政府筋を中心に道徳を個別の教科にして教えなければ国民の道徳性が低下するとの声が出てきました。この動きに対しては、「修身科」の復活につながるとの厳しい批判が投げかけられ、大論争が繰り広げられました。結果的には、1958年の学習指導要領改訂で、現在のような教科外活動の一つとして特設の「道徳の時間」ができたのです。これが第一の大きな変化でした。

その後、「青少年犯罪の凶悪化」や「社会モラルの低下」などを口実に、「道徳を教科にする」動きが何度かあったのですが、その都度批判がなされ、教科化にはいたりませんでした。
この新しく始まる「特別の教科 道徳」は戦後における第二の、とても大きな変化であり、教育政策の研究者として私は大きな懸念を抱いております。何といっても、国による教育統制や価値観統制が強まるという懸念です。
「道徳科」は何よりも私たち個々人の生き方に深くかかわる価値を扱う教科になります。この道徳的価値を子どもたちが学ぶ「内容項目」、言い換えますと「徳目」として国が学習指導要領で定めた上に、それにもとづいて作成される「主な教材」である教科書を国が検定し、しかも、教科書を使用する義務が先生や学校に課せられるようになるのです。二重、三重に国が関与するようになるのです。