旧姓使用裁判 あまりに時代錯誤だ - 朝日新聞(2016年10月13日)

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時代に逆行する判断に驚く。
結婚して姓を改めた東京の日大三中・高の女性教諭が、時間割表や生徒の出席簿、成績表、保護者らへのお知らせ、タイムカードなどに旧姓を記載するよう学校側に求めた裁判で、東京地裁はすべての請求を退けた。
判決は「女性の社会進出の状況などに照らせば、旧姓使用を認めるよう配慮していくことが望ましい」と述べながらも、職場がかかわる場面では戸籍上の姓の使用を強いても違法とはいえないと結論づけた。
そこに至る理由は粗っぽく、納得できるものではない。
いわく「結婚後の姓は戸籍制度に支えられており、個人を特定し識別するうえで、旧姓に比べて高い機能をもつ」「結婚後も旧姓を名乗る利益はそれほど大きいといえない」「既婚女性の7割以上が職場では主に戸籍上の姓を使っているというアンケート結果がある」――。
生徒や保護者らが長年親しんできた姓よりも、戸籍上の姓の方が本人を特定するうえで優れているという発想は、いったいどこから出てくるのだろう。空理空論もはなはだしい。
判決は、姓の変更によって、旧姓を通じて築いてきた信用や評価、「自分らしさ」の感覚が失われてしまうことへの懸念や、結婚・離婚のプライバシーが公になるのを嫌がる声に真摯(しんし)に向きあおうとしていない。
引用する「7割」も、その人たちが進んで戸籍上の姓を名乗っているのか、やむなくなのか詳細は不明だ。何より、「多くの人がそうしているのだから」との理屈で異議を抑えこむような姿勢は、少数者の権利を守るべき司法の役割の放棄以外のなにものでもない。
安倍政権は、旧姓を使える範囲の拡大を企業や団体に働きかける方針を打ちだしている。
個人の尊厳を守る観点からではなく、国の成長のため女性が働きやすい環境をつくる方策の一つとして提起されている点に疑問はある。だが選択的夫婦別姓の実現が見通せないいま、旧姓をさまざまな場面で使えるようにすること自体は悪くない。今回の判決が、旧姓使用を快く思わない人々に利用されないよう注視していきたい。
教職員の身分などにかかわる一部の文書を除き旧姓使用を認めている、ある県教委は趣旨をこう説明する。「互いの個性を尊重し、それぞれの能力を十分発揮できる職場環境の整備を図るため、旧姓の使用を認める」
この至極当たり前のことが裁判の場では通らない。人権のとりでの名が泣いている。