(余録)13歳の少年は町に進駐した軍隊に息をのんだ… - 毎日新聞(2016年10月12日)

http://mainichi.jp/articles/20161012/ddm/001/070/149000c
http://megalodon.jp/2016-1012-0910-07/mainichi.jp/articles/20161012/ddm/001/070/149000c

13歳の少年は町に進駐した軍隊に息をのんだ。それは見慣れた騎兵と歩兵でなく、装甲車やオートバイの機械の軍隊だった。一番驚いたのは飛行機が街に爆弾を落とすのに使われたことだった。1939年のナチスポーランド侵攻時のことだ。
18歳になった少年は独占領下のクラクフポーランドの収集家の浮世絵のコレクションを目にして、驚嘆する。歌麿うたまろ)、北斎(ほくさい)……それらは「初めての本当の芸術との出会いだった」と後年回想した。画家志望の少年のインスピレーションはやがて映画芸術で実を結んだ。
少年は後の映画監督アンジェイ・ワイダさんだ。故国を制圧する機械の軍隊の主はやがてヒトラーからソ連へと代わったが、その後も長くポーランドに自由がもたらされることはなかった。少年が見たのは、いつも力によって滅ぼされてきた弱者の正義の現実だった。
ナチやソ連の支配と戦う同世代の悲惨を描く「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」の抵抗三部作。社会主義下の労働英雄を描く「大理石の男」からその子を主人公に自主管理労組「連帯」を描いた「鉄の男」へ−−鮮烈な映像に刻み込んだ祖国の現代史だった。
「人類は狂気から抜け出し、自分を守ることができると証明した」とは前の世紀の顛末(てんまつ)を振り返っての言葉である。少年を感動させた例の浮世絵は今、ワイダさんが受賞した京都賞の賞金と募金によって設立されたクラクフの日本美術技術センターで公開されている。
幸福な子ども時代は戦争で破壊されたと回想するワイダさんである。召された天国は異(い)形(ぎょう)の軍隊に踏みにじられる前の故郷の風景に似てはいまいか。