石原慎太郎もタジタジ 50年にわたる小池百合子との因縁 - 女性セブン2016年10月13日号(2016年9月30日)

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東京都の小池百合子知事(64才)が築地市場移転問題で、石原慎太郎元知事(83才)からのヒアリングに乗り出す。都知事選中には「厚化粧」発言で応酬を繰り広げた2人がいよいよ“直接対決”。実はこの2人には、約50年の長きにわたる因縁があった──。
小池氏は1952年、兵庫県芦屋市生まれ。1971年にエジプトのカイロ大学に留学するまでは関西で暮らし、最初の衆議選では地元の兵庫2区から出馬している。
今は東京のリーダーなので大手を振って言えないだろうが、小池氏は熱烈な阪神タイガースのファンでもある。
「お父さんの勇二郎さんは貿易会社や石油卸会社を経営し、日本とエジプトを行き来する生活を送っていました。そんなお父さんの影響で、小池さんもカイロ大学に留学したんです。政治活動にも熱心だった勇二郎さんが応援していたのが、10才年下の石原慎太郎さんでした。出会ったのは1960年代で、石原さんはまだ30代。その後、選挙に立候補した石原さんを勇二郎さんが『選対関西本部長』として支えたんです」(政治ジャーナリスト)
勇二郎氏も1969年の総選挙で兵庫2区から立候補したが、あえなく落選。その時は、石原氏を総理にすることを目的にした「日本の新しい世代の会」の理事も務めていたほど、石原氏と近い仲だった。
「石原さんの右腕として築地移転を進めたのが、浜渦武生(はまうず・たけお)・元副知事でした。浜渦さんは関西大学出身で、学生当時は勇二郎さんの“書生”をしていて、卒業してすぐに石原さんの秘書になりました。もちろん浜渦さんは勇二郎さんの娘の小池さんとも若い頃から親しく、妹のようにかわいがってきました。小池さんの初登庁のときには、浜渦さんが先導していましたね」(前出・政治ジャーナリスト)
それほどに小池氏と、石原氏やその側近との関係は長く、深い。2013年末、猪瀬直樹氏が、政治資金問題で辞任した時、石原氏はこう言って小池氏に都知事選出馬を促したこともあったという。
「『知事選に出ないか。必要なカネも出す。お父さんへの恩返しだ』と。ただ、当時は石原さんと小池さんは党が違ったので、出馬は断念し、その時は“小池知事”は幻に終わりました」(前出・政治ジャーナリスト)
石原氏の口から『厚化粧』発言が飛び出したのは、自民党の都連会長だった長男の伸晃氏が、都知事選への出馬をめぐって小池氏と対立していたからだ。いわば息子かわいさゆえの発言であり、都知事選が終わってからは、石原氏は小池批判を一切していない。それどころか、石原氏は「知事在任中の件で多大な混乱や懸念を生じさせ、申し訳ない。責任を痛感している」と自身の責任を認めるコメントを出し、小池氏からの直接のヒアリングにも応じる構えだ。
それは、自分の政治家としての若き日々を支えてくれた勇二郎氏への感謝なのかもしれない。
「小池さんは“私は生まれ持ってのKY(小池百合子)”なんて冗談めかして言うこともありますが、かなりの策士です。築地移転問題も、実際は小池さんが環境大臣時代から温めていて、都知事選出馬というタイミングを見計らったもの。そのウラには自身のイメージアップだけでなく、アノ発言が尾を引いていたということもあるのでは。石原さんに対しては“父の頃からのご縁でしょう? 私に花を持たせてくださいな”ぐらいに見せているでしょうけどね」(前出・政治ジャーナリスト)
小池氏は9月23日、自らが立ち上げる政治塾の名前を「希望の塾」と命名することを発表した。
「小池さんのことですから、将来の小池新党結成、そして女性初の総理の椅子を狙ってのものでしょう」(前出・政治ジャーナリスト)
老獪な石原氏をもタジタジに。小池劇場の幕は上がったばかりだ。