イスラエル・ペレス前大統領死去 中東和平でノーベル賞 - 東京新聞(2016年9月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201609/CK2016092802000247.html
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【カイロ=中村禎一郎】中東和平を進めたイスラエルシモン・ペレス前大統領が二十八日未明(日本時間同午前)、死去した。九十三歳だった。イスラエルのメディアが伝えた。パレスチナの暫定自治を認める一九九三年の「オスロ合意」に尽力したとして、九四年にノーベル平和賞を受賞した。
今月十三日に脳卒中で倒れ中部テルアビブ郊外の病院に入院。集中治療室に入っていると伝えられていたが、二十七日に容体が急変した。
九二年に外相に就任。当時のラビン首相と協力してパレスチナ解放機構(PLO)と交渉を進め、翌年、オスロ合意を結んだ。ノーベル平和賞はペレス氏と同時に、ラビン氏、PLOのアラファト議長にも贈られている。
ペレス氏はポーランド(現ベラルーシ)出身。三四年に英委任統治下のパレスチナに移住した。五〇年代には国防担当者として、四八年に建国したばかりのイスラエルの軍備増強に取り組み、原子炉導入に貢献した。事実上の核保有国とされるイスラエル核兵器開発にも深く関与したとみられている。
防相などの歴任後、八四〜八六年に首相を務めた。オスロ合意後のラビン首相暗殺を受け、九五年に二度目の首相に就任。二〇〇七年から一四年には、政治的実権はないものの、イスラエルの象徴的な存在とされる大統領を務めた。
イスラエルは六七年の第三次中東戦争で現パレスチナ自治区を占領。オスロ合意では、イスラエルとPLOが互いを承認し、パレスチナ側の暫定自治を認めるほか、エルサレムの帰属やイスラエルによる自治区への入植、国境などの問題を解決するとされていた。
しかし、現実には入植活動が続き、イスラエルパレスチナの「二国家共存」を目指す中東和平交渉も二〇一四年に頓挫したままとなっている。イスラエルでは現在、「自治区イスラエルのもの」と考える傾向が強い右派が勢いを増しており、パレスチナ問題解決は先が見通せない状況となっている。