(筆洗)きのう九十三歳で逝ったペレスさんは、こういう言葉を残したという。「悲観主義者も楽観主義者も、同じように死んでいく。しかしどう生きるかに違いがある。私は、楽観主義者でありたい」 - 東京新聞(2016年9月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016092902000140.html
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楽観主義者が、五十代に入り人生の先行きを嘆く友人を励ました。「人生は五十から始まると思えよ」。すると、悲観主義者はこう答えた。「関節炎だって五十歳から始まるんだ」
イスラエル大統領のシモン・ペレスさんは超の付く楽天家だった。あるベテラン政治家が世界の先行きについて悲観的な見通しばかり口にしていたら、こうたしなめたそうだ。「なぜ、そんなに悲観的なのですか。われわれは楽観的になれるくらいに若いんです。私たちはまだ七十代ですよ」
首相をはじめ数々の要職を務めたが、選挙では苦汁をなめ続け、政敵からは「永遠の敗者」と呼ばれた。だが敗北を引きずらず、むしろ別の道を探すための好機と考えたという。
だからだろう。解決不能の難問とみられていたパレスチナとの和平交渉を粘り強く続け、一九九三年に世界を驚かす「オスロ合意」を成し遂げて、ノーベル平和賞も贈られた。
その中東和平も今は幻に見える。希望の光が差したと思っただけに闇が一層深い。貧困、絶望、憎悪、テロと戦争、そして新たな困窮と憎悪…という連鎖がやまず、悲観主義の大蛇がとぐろを巻く。
それでも、きのう九十三歳で逝ったペレスさんは、こういう言葉を残したという。「悲観主義者も楽観主義者も、同じように死んでいく。しかしどう生きるかに違いがある。私は、楽観主義者でありたい」