新・共謀罪 危うい本質は同じだ - 東京新聞(2016年9月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016092602000134.html
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またも「共謀罪」をつくろうと政府は動いている。東京五輪パラリンピックに向けての「テロ対策等」と看板を掛け替えるが、危うい本質は同じだ。本当に新設が必要なのか、根本から疑う。
犯罪が起きて、犯人を逮捕できる。つまり日本の刑法は行為を罰する。それが原則である。もちろん殺人未遂罪など未遂で処罰できる法律もある。共謀や陰謀、予備という未遂前の段階で処罰できる法律も数々ある。
国家転覆を狙う内乱陰謀罪。外国と通じて武力行使を招く外患誘致陰謀罪。爆弾を仕掛けようと企てた段階で処罰できる爆発物使用共謀罪…。だが、あくまで原則は、法を犯す意思だけでは罪に問わない。それが根本である。
共謀罪は正反対である。相談し、合意した段階で成立する。これを六百以上もの犯罪を対象にするから、まるで原則と例外が逆転する現象が起きる。窃盗や詐欺なども含まれる。社会全体を投網にかけるようなものだ。
行為を罰する原則から、合意という「心の中」を処罰する。それに対する抵抗感は強かった。反権力の結社やデモなどで適用されないか−。人権侵害や市民監視の恐れはないか−。さまざまな反対論が沸き起こり、過去三回、廃案になった経緯がある。
政府は共謀罪の名前を「テロ等組織犯罪準備罪」に改めるという。同時に共謀だけでは罪としないで、資金集めなどの「準備行為」の段階で罪が成立となる。
だが、六百以上の犯罪が対象なのは変わりがない。準備行為であっても、捜査当局による拡大解釈などは十分ありうる。原則と例外の逆転関係は同じなのだ。
もともと国連が二〇〇〇年に採択した国際組織犯罪防止条約が発端である。条約批准のため国内法が求められた。ただし国と国とをまたぐマネーロンダリング資金洗浄)や人身売買などが念頭にある。テロ対策が主眼ではない。
それに本当に国内法は整っていないのか。政府は新設を求めるが、日弁連は「共謀罪がなくても条約批准は可能だ」と反論する。日本には重大犯罪に対処する国内法は整っていると考えるからだ。テロ対策の法律も備わっている。
つまり出発点から議論が食い違う。秋の臨時国会では提案が見送られるが、そんな状態で政府が進めてはならない。もしテロへの不安に便乗する発想があるのなら、なおさら許されない。