桐生悠々を偲んで 不安なる平成二十八年 - 東京新聞(2016年9月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016091302000133.html
http://megalodon.jp/2016-0913-0916-45/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016091302000133.html

時代は、ひょっとしたら再び悪い方向に進もうとしているのではないか。新聞は果たして、覚悟を持ってそれに抗(あらが)っているのか。胸騒ぎと深思の秋です。
九月十日は、一九四一(昭和十六)年に亡くなった反骨の新聞記者、桐生悠々(きりゅうゆうゆう)を偲(しの)ぶ命日でした。
明治後期から大正、昭和初期にかけて健筆を振るい、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ、新愛知新聞でも編集と論説の総責任者である主筆を務めました。われわれの大先輩に当たります。

◆昭和よ、暗闘と改めよ
新愛知の後、長野県の信濃毎日新聞主筆を務めていましたが、三三(同八)年、自らの筆による評論「関東防空大演習を嗤(わら)う」が在郷軍人会の怒りに触れ、同社を追われます。
戻ってきたのが、新愛知時代に住んでいた今の名古屋市守山区。糊口(ここう)をしのぐために発行を始めたのが個人誌「他山の石」でした。その三七(同十二)年一月五日号に「不安なる昭和十二年」という悠々の文章が掲載されています。
前年の三六(同十一)年二月二十六日には、「二・二六事件」が起きています。旧陸軍の青年将校ら反乱部隊が首相官邸などを襲撃し、当時の高橋是清蔵相らが殺害された事件です。同二十九日までに鎮圧されましたが、軍部の影響力が強まる契機となりました。
悠々は、新年を迎えて「昭和」という時代に語りかけます。
昭和は最初、その名が示す通り明朗な時代だったが、年を重ねるに従って次第にその名に背き、五・一五事件二・二六事件後は「昭」は「暗」となり「和」は「闘」となった。
「『昭和』よ、お前は今日から、その名を『暗闘』と改めよ。これが、お前に最もふさわしい名である」と。

◆武門政治を黙視せず
悠々は「武門政治の再現を歓迎してはならない。歓迎してはならないどころか、黙視していてもならない。況(いわん)や、これを期待することをや」と、軍部の台頭に対して警鐘を鳴らします。
そして昭和十二年に忍び寄る危機をこう記します。
「不安は益(ますます)募って来た」「来りつつある一九三七年のそれこそは、何人も想像し得なかった振古未曽有の危機、しかも世界の一大危機であるだろう。ヨーロッパでは、スペインの内乱を発火点として、東洋では、支那の紛乱を発火点として」
悠々の見通しは的中します。この年の七月七日に起きた盧溝橋事件を発端に日中間の戦闘は本格化し、やがて太平洋戦争へと発展します。四月二十六日にスペイン内戦でゲルニカ空爆したナチス・ドイツは二年後の三九(同十四)年、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。
悠々の文章は、海外にまで視野を広げた豊富な知識と判断力に基づいて、時代の本質と行く末を言い当てたものです。その慧眼(けいがん)を恐れたのでしょう、当局は「他山の石」をたびたび発禁処分にします。
この「不安なる昭和十二年」も検閲で文章の一部が削除され、次の号は発禁となりました。
「『昭和』よ、悲しいことには、私たちは無手だ。武力、武器を擁する者に対しては、私たち無手のものは、言葉通りに太刀打ちはできない」「今日の世界では、筆の力は零なのだ」(不安なる昭和十二年)
悠々は言論統制に無力感を正直に吐露することもありましたが、亡くなるまで「他山の石」の発行を続け、ペンの力で軍部や官僚の横暴と戦うことをやめませんでした。「言いたいこと」ではなく「言わねばならないこと」を言い続けた記者人生です。
不安なる昭和十二年から八十年近く。日本国民だけで三百十万人という夥(おびただ)しい犠牲を強いた戦争の時代を経て、七十年以上にわたって平和な時代が続いています。
しかし、この平和がひょっとしたら壊れてしまうのではないか、そんな不安を感じる昨今です。
安倍晋三首相の時代を再び迎えてから、国民の「知る権利」や人権が著しく脅かされかねない特定秘密保護法や、外国同士の戦争に参加する「集団的自衛権の行使」をできるようにする安全保障関連法の成立が強行されました。

◆再び戦前にせぬ覚悟
そして、政権は今、テロ対策を理由に「共謀罪」を創設する法案を国会提出しようとしています。捜査機関による拡大解釈で人権侵害の恐れが指摘される法案です。
戦前・戦中のように犠牲を恐れて権力の言い分を鵜呑(うの)みにし、警鐘を鳴らすことを忘れるのなら、新聞に存在価値はありません。
日本を再び「戦前」にしてはならない。悠々の文章と奮闘は、今を生きる私たちに、志と覚悟を問い掛け続けているのです。