遺品でたどる苦闘の人生 谺雄二さんしのぶ企画展 草津町で来月から:群馬 - 東京新聞(2016年9月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201609/CK2016091102000162.html
http://megalodon.jp/2016-0912-1054-27/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201609/CK2016091102000162.html

◆愛用品など十数点初公開
2014年5月に82歳で亡くなった国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」(草津町)の元患者で、差別撤廃運動の象徴的存在だった谺(こだま)雄二さんをしのぶ初めての企画展「人間 谺雄二」が10月12日から11月13日まで、園内の重監房資料館で開かれる。衣類や生活用品をはじめ谺さんの愛用品などを初公開する。企画展のため、親交が深かった元患者たちの証言を集めた記録映像も制作し、上映する。 (菅原洋)

■壮絶な体験
谺さんは一九三二年、東京で生まれ、出産後に母がハンセン病を発症。谺さんも七歳で発症し、母はショックで服毒自殺を図った。母は一命を取り留め、谺さんの顔に涙を落としながら抱き締めたという。
その母は終戦間際の混乱の中、食事の配給が滞り、「餓死同然で」(谺さん)衰弱死した。兄も発症し、足を切断後、十九歳の若さで亡くなった。家族の発症により、姉も離縁されるなど、谺さんは壮絶な差別を体験してきた。
こうした差別体験が谺さんを突き動かす。谺さんは元患者たちを長年にわたって強制隔離してきた「らい予防法」の廃止を主張。一九九六年に実現し、今年は二十年の節目を迎える。
国に強制隔離などの責任を追及したハンセン病違憲国賠訴訟では、全国原告団協議会の会長を務めた。今年は二〇〇一年の原告勝訴から十五年の節目でもある。今回の企画展は二つの節目と、谺さんの三回忌に合わせて企画された。
谺さんはさらに、戦前から終戦後にかけて患者たちが監禁された懲罰施設「重監房」の復元に向け、署名運動に取り組んだ。
重監房は理不尽な理由で患者延べ九十三人を収容し、真冬は氷点下二〇度近くになる室内で粗末な食事しか与えられず、二十三人が死亡したとされる。運動は実を結び、谺さんは重監房資料館の開館を見届け、十数日後に力尽きた。

■気さくな人柄
今回の企画展では、谺さんが入所者自治会の副会長として勤務する際にいつも着ていたスーツ、運動靴、電動車いす、愛用の眼鏡、携帯電話、不自由な手に合わせたスプーンなどの遺品十数点を並べる。
国賠訴訟で法廷へ通う際などに掛けた「ハンセン病裁判原告」と記したたすき、本人のアルバムに入っていた写真のパネル、著作なども展示する予定。
記録映像は約十五分間で、谺さんとともに入所者自治会で活動した藤田三四郎会長(90)ら元患者が故人の思い出などを語る。
企画展を担当する北原誠主任学芸員は以前、楽泉園の職員として計四年半勤め、谺さんと交流があった。
北原主任学芸員は「谺さんの差別や人権に対する姿勢は、子どものように純粋で、それゆえに激しいときもあった」と振り返る。「一方、非常に気さくで、好きな酒を飲むと陽気になり、子どもや若者にとても優しかった。この資料館は谺さんの信念がつくったと思う」と惜しんだ。
谺さんは二〇〇八年、記者を自室に招き入れ、楽泉園の患者五十年史を手渡すとともに、「ハンセン病百年以上の歴史を、差別を知らない人々に伝えたい」と言葉に力を込めていた。

企画展は観覧無料。原則月曜休館。問い合わせは重監房資料館=電0279(88)1550=へ。
http://sjpm.hansen-dis.jp/2016/09/visitors20160906-3/