(筆洗)自らを絶滅させるほどの核兵器を、手放そうとしない - 東京新聞(2016年9月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016091002000117.html
http://megalodon.jp/2016-0910-2213-43/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016091002000117.html

もしも三十五億年の生命の歴史を一時間に縮めると…。最初の一秒で単細胞生物が生まれ、五十一分十秒もたってから魚が登場する。恐竜は五十六分に現れ、三分後に絶滅。現生人類の誕生は五十九分五十九秒八の出来事だ。
『もしも地球がひとつのリンゴだったら』(小峰書店)は、大きなスケールの出来事を身近な尺度に置き換えて見せてくれる絵本だ。地球をリンゴにたとえれば、人が住めるのは、八分の一。だが、その中には農業に向かない土地が多く、都市化で失われた農地も多いので、リンゴを三十二等分した小さな一かけの土地で、人類の食べ物は生産されているそうだ、
そんな本をめくりながら、つくづく感じるのは、人の傲慢(ごうまん)さ、あさはかさだ。五十九分五十九秒八に現れたばかりなのに、たった〇・二秒後に自らを絶滅させるほどの核兵器を、手放そうとしない。
きのう核実験を強行した北朝鮮は、「われわれの尊厳と生存権を守り、真の平和を守るため」に核兵器が必要だと声明を出したそうだが、その「われわれ」とは、誰のことか、
人の寿命を砂浜の足跡にたとえれば、わずか五歩の足跡も残さずに死んでしまう子は、日本や韓国では千人のうち三、四人。だが、北朝鮮では二十七人もいる。
国の富を子どもの命を守るために使わず、人殺しの道具に費やす。「われわれ」という言葉の何と虚(うつ)ろなことか。