(筆洗)「体操の名花」と呼ばれたベラ・チャスラフスカさん - 東京新聞(2016年9月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016090202000136.html
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ローマ、東京、メキシコと三つの五輪で十一のメダルを獲得し「体操の名花」と呼ばれたベラ・チャスラフスカさんが、現役最後の舞台としたのは、日本の地だった。
メキシコ五輪から二カ月後の一九六八年十二月、東京や名古屋などで開催された大会に参加した彼女は日本のファンに向け、メッセージを出した。「人は誰でも最後が美しくあることを望みます。私は愛する日本の人々に、私の最高の演技をみていただきたかったのです。すべてのものは生命をもっています。体操選手としてのベラ・チャスラフスカは、いまここで生命を終えたのです」
そのとき既に名花は、母国チェコスロバキア共産党政権による弾圧の影の中にあった。人々が自由を求め立ち上がった「プラハの春」を支持した彼女に、政府は転向を迫り続けた。
だが「体操は、心で演ずるもの」と言っていた彼女は、その心を売り渡さなかった。地位や名誉を奪われても、民主化まで二十年余の冬の日々を耐え抜いたのだ。
彼女は晩年、がんの多発に苦しみ、闘病を「四回目の五輪」にたとえて闘った。そういう死の影がちらつく日にあっても、こう語っていたという。「シリア難民の子どもたちのことを考えると、眠れなくなるのです。私に何ができるのでしょう?」
七十四歳。時代をしかと見つめ続けた、やさしく、美しい目が静かに閉じられた。