むのたけじさん死去、反戦の信念貫く 戦争のない世界、最後まで訴え - 埼玉新聞(2016年8月21日)

http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/08/22/02.html
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反戦ジャーナリスト、むのたけじさんが21日、さいたま市中央区の自宅で死去した。「命ある限り、戦争のない世の中を求めていく」と晩年まで訴え、安全保障法制や憲法9条改正の動きを批判し続けた。反戦の信念を貫き通した生涯に、親族は「立派な父」と語り、関係者からは「思いを忘れない」などと惜しむ声が相次いだ。

■「立派な父」「思い忘れない」
最期をみとった次男武野大策さん(63)によると、自宅で付き添っていたところ、たんが絡み、取り除いてあげると、安心したのか眠るように穏やかな表情で旅立ったという。
今年5月9日、肺炎のため都内の病院に入院。7月15日に退院し自宅で療養していたが、年齢の影響もあり体調は少しずつ悪化した。
大策さんはむのさんの主義・主張について、2人で話し合ったことはあまりなかったという。それでも「平和への信念を貫いてきた。立派な父」と述べた。
むのさんと同じ秋田県出身で、同県人会の活動や、さいたま市の「九条俳句」市民応援団の活動などで交流があった武内暁(さとる)さん(68)=さいたま市中央区=は「とても残念」と悼んだ。
新聞記者として戦争取材に関わった経験から、安保法への批判や、権力を監視するべき報道機関に対する姿勢が印象深かったという。中高生に平和の大切さを語る講演会では、まるで祖父が孫に語り掛けるように話す姿が忘れられない。武内さんは「子どもの目線を意識し考えを伝えようとしていた」と振り返る。
「平和を築くために最後の日まで懸命に生き続けたい」と話していたというむのさん。武内さんは「思いを忘れず、自由で豊かな生活が引き続き送れるように努力したい」と話した。
むのさんと執筆活動などで交流があったルポライター鎌田慧さんは「反骨のジャーナリスト。この年齢まで自身の訴えを続けてきたのは他にいないのでは」と称賛した。
鎌田さんがむのさんと最後に会ったのは今年5月の憲法記念日に都内で行われた護憲派の集会だった。車いすで登壇し約10分間にわたり演説し、「憲法9条は70年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった。間違っていない」と訴えた。鎌田さんは「声がよく通った大演説だった」と評価した。
鎌田さんは佐高信さんや落合恵子さんらと、しのぶ会の準備を進めるという。「反戦・平和などで活動、生涯ジャーナリストで人生を全うした、むのさんの思いを忘れてはならない」と話した。