シールズきょう解散 諏訪原さん「活動の種、祖父がまいてくれた」 - 東京新聞(2016年8月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016081502000104.html
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安全保障関連法に反対する若者グループ「SEALDs(シールズ)」のメンバーとして活動してきた諏訪原健(すわはらたけし)さん(23)は小学生の頃、毎年十二月八日に亡き祖父から電話を受けていた。八月十五日の終戦の日ではなく、真珠湾攻撃の日。「戦争を始めたらおしまいということだったのか」。いまの自分につながる原点として、残してくれた言葉をかみしめている。
シールズは十五日解散する。国家権力に憲法順守を求め、リベラル勢力の結集を訴えてきたが、緊急アクションとして発足したため、参院選後の解散を昨年から公表していた。
筑波大大学院(茨城県つくば市)に通う諏訪原さんは、鹿児島県鹿屋市で生まれ育った。近くに住んでいた父方の祖父旻(あきら)さんは今年一月に八十七歳で亡くなった。戦時中は航空機パイロットの訓練を受ける海軍飛行予科練習生になったが、戦地に派遣されないまま敗戦を迎えた。戦後は地元で働き、退職してからは畑仕事に精を出した。そんな祖父が電話をかけてきたのは、決まって十二月八日だった。
「今日は日本が米国の真珠湾を攻撃して、太平洋戦争が始まった日だ。戦争では何も解決しない。幸せもないんだよ」
この日以外に戦争の話を聞かされた記憶はほとんどない。「なぜそんな話をするのか、当時はよく分からなかった」。中学に進むと電話はかかってこなくなり、諏訪原さんが思い返す機会もなかった。
記憶がよみがえったのは、特定秘密保護法や安保関連法に関心を持った大学生の時。帰省した際に戦争体験を聞いてみようとしたが、体調を崩していたためかなわなかった。
いまは祖父の思いが分かるような気がする。「戦争が始まれば手に負えなくなり、どこまでも突き進んでいく。だからこそ、日本の過ちを忘れるなと伝えたかったのではないか」と諏訪原さん。「いつの間にか種をまいてくれていたんだと思う。祖父の遺志を受け継いでいきたい」