戦地支えた句会 トラック諸島で7カ月、金子さん主宰 - 東京新聞(2016年8月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016080202000124.html
http://megalodon.jp/2016-0802-1324-30/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016080202000124.html

八月十九日は席題が「炎天」。
高さんは

  • バナゝ青し炎天を行く兵のあり

と詠んだ。
金子さんはガリ版刷りの会報に「私はこの句をみた時、ヤラレタと思った。下手なだけ余けいその感を強くした。この作品には作ったものがないのだ。ヅバリと一気に感銘を十七音に叩(たた)きつけているのだ」と評を書いていた。

金子さんは十一年前に高さんの弟を介してこの句帖を一度見た。その際

  • 青芒(あおすすき)泉をふくむ口一杯
  • 山肌の崩れて赫(あか)し時雨降る

という二句の自作を確認したが、今回、新たに一句が見つかった。十月十七日の

  • ねる頃は雨となりゐて蚊遣(かやり)かな

「甲板士官」という肩書で記されていた。「まさにおれの句だ。下手くそだが涙が出そう。(参加した)最後の句会かもしれない」と金子さん。
<トラック諸島> 現在はチューク諸島と呼ばれる西太平洋ミクロネシア連邦にあるサンゴ環礁の島々。第1次世界大戦後に日本の委任統治領となり、第2次大戦では日本海軍の一大基地となった。1944年2月の米軍機動部隊による空襲で軍事拠点としての機能を失い、7月のサイパン島をはじめとするマリアナ諸島の陥落後は補給を断たれた。現地での自給自足は困難を極め、終戦後まで残された軍人・軍属らは壮絶な飢えとの闘いに直面した。
戦時中にトラック諸島で行われた句会の様子を記した句帖