天皇陛下の「生前退位」スクープを新聞各紙はどう報じたか?- uttiiの電子版ウォッチ(2016年7月14日)

http://news.goo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-212105.html
http://megalodon.jp/2016-0715-0945-13/news.goo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-212105.html

7月13日、天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたという速報が、NHKの独占スクープとして報道され、のちに新聞テレビなど各社から一斉に報道されました。このニュースは国内だけでなく、世界各国でも速報で大きく報じられています。一夜明け、主要新聞4紙はそれぞれこのニュースをどのように伝えたのでしょうか。ジャーナリストの内田誠さんが、自身のメルマガ『uttiiの電子版ウォッチ』で詳細に比較、分析しています。

天皇陛下生前退位の意向。各紙はどう伝えたか
◆1面トップの見出しから……。

《朝日》…「天皇陛下 生前退位の意向」
《読売》…「天皇陛下 生前退位の意向」
《毎日》…「天皇陛下生前退位」意向」
《東京》…「天皇陛下 生前退位の意向」

解説面の見出しから……。

《朝日》…「陛下82歳 公務も変化」
《読売》…「ご公務 強い責任感」
《毎日》…「陛下 高齢の影響懸念」
《東京》…「象徴天皇の将来 見据え」

ハドル
凄いですね、天皇陛下が完全制覇です。情報が少ない世界のことでもありますし、各紙、「天皇陛下の意を忖度する」ことには慎重にならざるを得ません。違いがどれだけ出るか不安ですが、なんとか頑張ってみましょう。

基本的な報道内容
天皇陛下が、皇太子に皇位を譲る生前退位の意向を示していることが、政府関係者への取材で分かった。少なくとも1年前から、こうした意向を周囲に示していたという。背景には、天皇として行うべき公務が、高齢化という要因で制限されてしまうことへの考慮もあったとみられる。

皇室典範には生前退位の定めがなく、法改正が必要となる。有識者会議などで議論を進め、結論を得るまでには数年が必要とみられる。

憲法に則った継承のあり方
【朝日】は1面に、「継承のあり方 自ら一石」と題する「解説」を置いています。担当は、北野隆一編集委員

天皇陛下は2012年2月の心臓冠動脈パイパス手術以降、皇太子、秋篠宮と月一回語らう場に臨んできたという。内容は明らかにされていないとのことだが、「天皇陛下の務めや現行憲法象徴天皇制の意義、宮中祭祀などについて、お二人に引き継いでいく趣旨だとみられる」と。

宮内庁も恒例行事での「おことば」を原則廃止するなど負担軽減を進めてきたが、天皇陛下ご自身は象徴天皇としての務めを果たすことに強い気持ちを示してきたという。その務めを十分に果たせないのであれば、摂政を置くのではなく、自身が退位した方が良いとの考えに達したのではないかという。

uttiiの眼
もちろん、想像の域を出ないのだが、息子たちに「帝王学」を施している姿、公務負担の軽減について「しばらくはこのままでいきたいと考えています」との発言、こうしたことを勘案すれば、天皇陛下は、象徴として求められる公務を減らしたり、譲ったりすることはできないと考え、ならば、皇位そのものを譲るべきだと考えたのだろう。

やはり天皇陛下は即位の時の、「憲法を国民とともに守っていきたい」という言葉に厳格に忠実な生き方をしようとしておられるのだと思う。それ以上の表現が見つからない。

憲法上の立場」というなら…
【読売】は2面に沖村豪編集委員による「憲法上の立場に慎重配慮」と題する解説的なコラムを置いている。

退位の意向を持ちながら公にせず、政府も水面下で準備を進めてきたのは、憲法7条で、天皇陛下の国事行為は「内閣の助言と承認による」とされているからだとの説。皇室典範という法律の改正を促すような政治的な発言をしたと言われないためだったという解釈。今回の報道についても、宮内庁が否定しているのは、同じ理由からだとする。

とはいえ、80歳を超えての激務。皇太子にバトンタッチしたいとの考えは国民に理解されるだろうから、「今後、陛下の意向を尊重しながら、天皇制のあり方について広く議論が行われることが必要」だとしている。

uttiiの眼
憲法7条が大事でないなどとは言わない。しかし、天皇陛下の公務が持つ意味を辿っていけば、それは第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という規定に辿り着く。7条は天皇陛下が政治に関わることを禁ずる意図だが、今回の「生前退位」に関しては、飽くまでサイドストーリーに過ぎないであろう。

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
大赦、特赦、減刑刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

ちょっと嫌な感じがする。

《読売》が「憲法上の立場に慎重配慮」と仰々しく書いているのは、単に担当編集委員の思慮が足りないせいではなく、憲法が何かの障害になっているというイメージ、憲法は建前であって、(天皇陛下生前退位を希望しているという)現実とは距離があるという印象を振りまこうとしたからではないか。そんな疑問が浮かんでくる。

この問題は、国の最高法規の第一条に規定された存在として、象徴天皇としての役割を全うしたいという天皇陛下の強い意志を前提に考えるべきことだと思う。そして、その象徴としての仕事とは、国民統合の象徴としてあり続け、内外の戦没者に鎮魂の祈りを捧げ、許しを請うこと、そのように意識されているのではないか。

憲法1条と9条をつなぐ
【毎日】は2面で、4人の識者に話を聞いている。4人とは、加藤陽子東京大学教授・日本近代史)、保阪正康(ノンフィクション作家)、半藤一利(作家)、原武史放送大学教授・日本政治思想史)。

加藤氏は、天皇陛下は「多数の新聞を毎日読み比べて国民世論の動向に配慮し…国民統合の象徴として行動されてきた」とし、「主権の存する国民の側が期待する天皇像とは何かを慎重に考えられ、決断されたのではないか」という。また、譲位の発想は近代日本になかったわけではないという。

保坂氏はフィリピンやペリリューの慰霊訪問が「1つの区切り」となったのではないかと言う。最晩年まで皇位にあり、病床のままなくなられた先帝の姿も参考にし、いつまで天皇としての責務を果たしていけるか考えられた上での判断だろうとも。「陛下は長く、美智子さまとともに、大戦の犠牲者の追悼と慰霊を繰り返し、戦後の慰霊を紡いでこられた。」「一方で、そうした平和希求の潮目が変わるかのようにみえる今日、あえて近代では異例の生前譲位の意向を示されることの意味を、私たちは考える必要がある。」と。

半藤一利さんのコメントの中で印象的なのは、陛下は「憲法1条と9条をしっかりとつなげ、それを自分の仕事として実践された、日本でもたった1人の方」という部分。

原武史さんは、「長いスパンで天皇制のことを考え、出した結論なのだと思う」という。また、「象徴としての天皇が果たすべき役割とは何か、深い議論がなされないまま戦後70年が経過した。生前退位を打ち出すことで、冷静な国民的議論がわき起こることを望んでいるようにも感じる」としている。

半藤さんと原武史さんには、《東京》も話を聞いている。

uttiiの眼
加藤さんが言われるように、天皇陛下は新聞をいくつも読んでいて、琉球新報沖縄タイムスも読んでいるらしい。沖縄についての思いが深いことについては、《東京》の「筆洗」が記している(後述)。

それにしても、半藤さんの、「憲法1条と9条をつなげる」という表現には参った。ちょっと太刀打ちできない…。残念なことに、この認識は日本人のなかに広がっているとは思えないが。

本筋は女性天皇
【東京】は2面で5人の識者に話を聞いている。そのうち2人は《毎日》も話を聞いている半藤一利さんと原武史さん。あとの3人は所功京都産業大学名誉教授・日本法制史)、河西秀哉(神戸女学院大学准教授・日本近現代史)、古川隆久日本大学教授・日本近代史)の3方。

所氏は、「天皇、皇后両陛下とも高齢になった。そのことにご懸念を持たれていると漏れ聞いたことはある」とし、「将来にわたって天皇が象徴であり続けるために、元気なうちに議論が動き出さないといけないという非常に高度なご判断があったのだろう」と推測する。河西氏は「近代になって初めてのことであり、歴史的に大きな転換点になる」と指摘。「皇室典範を見直し、女系天皇の存在を認め、女性宮家にも象徴的な仕事をやってほしいとの気持ちをお持ちなのでは」と。

uttiiの眼
原武史さんの話は、実は超具体的。《毎日》は、何かを慮って文字にできなかったのかもしれない。《東京》の記事の中で、原さんはこんなことを言っている。

「皇太子さまの即位後は、皇位継承秋篠宮さまと長男悠仁さまの順になり、天皇家に対し秋篠宮家の比重が高まる不安定な状況が生まれる。こうした事態に対する不安感が一因となり、明治以来の制度、仕組みを変える革命的な決断を下したのでは。」

原さんの言われる通りだとすると、「生前退位」の話の奥にはもう一つ大事な話があって、河西氏も言っていることだが、女性天皇女系天皇も認めるような制度の変更が求められていることになる。少なくとも、そこにつながるような、皇室典範の改正論を巻き起こそうということか。

筆洗」について簡単に記す。天皇陛下は皇太子時代の75年、沖縄海洋博の機会に初めて沖縄を訪問、戦績に足を運ぶことを強く望んだという。宮内庁の反対にあい、沖縄学の泰斗、外間守善さんを招いて話を聞き、外間さんが「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心して下さい」と言うと、「何が起きても、受けます」と答えたという。そして実際、「ひめゆりの塔」で火炎瓶を投げ付けられる事件が起きる。それでも天皇陛下は予定を変えず、戦跡を巡って祈りを捧げ続けたと。

あとがき
以上、いかがでしたでしょうか。

基になる情報が薄いのですが、それにしては各紙、特徴が大きく出てきたように思います。さて、東京都知事選が始まっています。色々な思いが交錯する選挙模様ですが、結果には大きな意味があると思います。どうなりますか…。

著者/内田誠(ジャーナリスト)