(筆洗)陛下は九年前、こんな歌を詠まれた。<務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり> - 東京新聞(2016年7月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016071402000144.html
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天皇陛下は、皇太子であった一九七五年の夏、初めて沖縄を訪問された。沖縄国際海洋博を訪れるためであったが、同時に戦跡に足を運ぶことを強く望まれた。
宮内庁は反対した。悩んだご様子の陛下は、凄惨(せいさん)な沖縄戦を自ら体験した沖縄学の泰斗・外間守善(ほかましゅぜん)さんを招いて、話を聞かれた。訪沖の前夜、外間さんが「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心してください」と言うと、陛下は静かに答えられたという。「何が起きても、受けます」
危惧は現実となり、「ひめゆりの塔」で火炎瓶が投げられる事件が起きた。しかし陛下は予定を変えずに草木が生い茂る戦跡をめぐり、祈りを捧げ続けた。そうして、琉歌(りゅうか)を詠まれた。<ふさかいゆる木草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて>
くり返し返し、戦跡や被災地に足を運び、命を奪われた人々に祈りを捧げ、愛する人を失った人々の悲しみに寄り添い続ける。それはどれほどの重みを胸に抱える営みなのだろう。
「何が起きても、受けます」との思いを胸に歩み続けてこられた天皇陛下が、生前退位の意向を示されているという。今はただただ、驚くばかりだ。
陛下は九年前、こんな歌を詠まれた。<務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり>。長い長い務めを終え、ご夫妻で静かにゆっくりと歩まれる。そういうときが来たということなのだろうか。