自民党の憲法改正草案を読んでみた——「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」(長谷川一さん) - Blogs(2016年7月7日)

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たとえば第12条。現行憲法ではこう書かれている。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければらない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

改正草案では、このように書き換えられている。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民はこれを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

最大の注目点は「公共の福祉」という言葉が消され、「公益及び公の秩序」に置き換えられ、それに従うことが強調されている点だ。しかし「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」はまったく異なる概念であり、置き換え可能な関係にはない。

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「個人」から出発するのが近代・現代の自由主義・民主主義の基本である。そのことは、たぶん誰もが習っているだろう。あくまで「個人」あっての「国家」なのであり、その逆ではない。
ところがその関係を逆転させ、「公」の名のもとに「全体」を超越的なものとして優先させ、「個人」をそこに隷属させてしまうなら、それはふつう「全体主義」とよばれるだろう。
改正草案を書いた者たちにそう問えば、もちろんかれらは「そんな意図はない」と否定するにちがいない。でも口でなんと言おうとも、こうして書かれたものをよく読むかぎり、それが意図していることは明らかだといわざるをえない。全体主義や独裁体制もさまざまであり、表向きには堂々と「民主主義」を掲げているような事例もめずらしくない。