給付型奨学金 未来へ引き継ぐバトン - 東京新聞(2016年7月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016070702000150.html
http://megalodon.jp/2016-0707-1101-27/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016070702000150.html

参院選では与野党を問わず、大学生らへの返還不要の給付型奨学金の創設を唱えている。公教育への投資で潤うのは未来である。それが議論の出発点になる。
日本学生支援機構が担う国の奨学金制度には、卒業後に返還せねばならない貸与型しかない。将来の収入見通しも立たないうちから多額の借金を強いられる、ローンの仕組みが深刻な問題を招く。
就職に失敗したり、薄給の仕事に甘んじざるを得なかったりすると、たちまち人生設計の重荷となる。若い世代は結婚や出産に及び腰になりかねない。
それでも、一九九八年度に三十八万人だった利用者は、昨年度には百三十四万人と約三・五倍にまで膨らみ、大学生らの四割を占める。背景には、親の収入の低迷や学費の高騰が横たわる。
借金苦を忌避して、大学を諦める若者も後を絶たない。親から子への貧困の連鎖をかえって固定化する要因にさえなっている。
学び手の資力は、もはや底を突きかけているに等しい。返還義務のない給付型を求める声が高まるのも当然である。政治は実現への具体の道筋を論じてほしい。
公財政を投じる給付型の導入には、幅広い合意が欠かせない。
高等教育の恩恵にあずかる子のために、責任者である親が学費を賄うのは当たり前とする受益者負担論。貧しい家庭に生まれた子は、進学できなくても仕方ないとみる自己責任論。まずはこうした排他的な意識を払拭(ふっしょく)したい。
公教育は本来、私的な消費財と捉えるべきではない。その利益は学び手個人にとどまらず、社会全体に広く還元されるからだ。
国立教育政策研究所の試算では、大学を出た人は、高卒者に比べて多くの税金を納め、失業は少なく、犯罪抑止力が強まる。公財政への貢献度は一人につき六百万円余り増え、大学への公的投資額の約二・四倍の効果がある。
公的投資を充実させ、家計負担を和らげたい。放置すれば、現代の知識基盤社会では貧富の格差が一層広がり、社会の持続可能性すら脅かされかねない。
元来、教育の目的は、平和や自由、民主主義、人権尊重を基調とする社会の発展のはずだ。憲法がすべての人に等しく学ぶ権利を保障し、国際人権規約が公教育の無償化を求めるゆえんだろう。
奨学金論議で問われているのは、目先の損得勘定ではなく、未来へのバトンの渡し方である。