(余録)明治初め、各地に学校ができたころには… - 毎日新聞(2016年6月28日)

http://mainichi.jp/articles/20160628/ddm/001/070/107000c
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明治初め、各地に学校ができたころには生徒や親を「競争」の舞台に引きこむためなかなか手荒なことをしている。石川県の小学校規則には「試験点数の優劣並(ならび)に及(きゅう)落(らく)表は校門前に掲示すべし」とあり、成績や及第落第の公開を指示していた。
成績の校外張り出しは栃木県や埼玉県などでも行われたという。当時の回想には「今では想像に苦しむほど厳格なものであった」とある。競争を知らない江戸時代から、いきなり試験地獄に放り込まれた庶民はさぞ驚いたろう(斉藤利彦(さいとうとしひこ)著「試験と競争の学校史」)
そのころ学校で学んだ森鴎外(もりおうがい)に「人生の最も苦なるものは学校の試験に若(し)くはなし」の言葉がある。鴎外のような秀才でも成績競争を苦々しく振り返った。時代は変われど、生徒らには今も「苦」のたねとなる成績である。
なのに佐賀県の県立高校の生徒の成績や個人情報が危うく“公開”されかねなかったという情報流出事件である。成績表や調査票などを管理する教育情報システムに侵入し、1万人を超える生徒の情報を盗み取っていた疑いで佐賀市内の17歳の無職少年が逮捕された。
少年はすでに有料放送を無料視聴するプログラムを公開したとして逮捕されていたから、それなりのハッカーらしい。一方、皮肉なことに佐賀県は教育への情報通信技術(ICT)導入で他に先んじてきた県という。それがハッカーには格好の標的になってしまった。
この情報流出、当の県教委からは公表もなく、ことセキュリティーの試験には「落第」と張り出されたかたちである。どうも明治初めとは攻守ところを変えた教育における新システム導入である。