参院選へ 改憲志向の首相 「沈黙」は何を意味する - 毎日新聞(2016年6月17日)

http://mainichi.jp/articles/20160617/ddm/005/070/078000c
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国会の閉会以降、安倍晋三首相は参院選向けの全国遊説に飛び回っている。勝敗のカギを握る1人区を中心に、ほぼ連日のペースだ。
首相は言う。最大の争点は経済。これからアベノミクスのエンジンをフル回転させる。民進、共産の野合勢力は日米の絆を断ち切ろうとしている。自公に託すか、民共に託すかを決める選挙だ、と。
各地での演説内容にはもう一つ、奇妙な共通点がある。憲法について何も語らないことだ。
改憲を究極の政治目標に掲げる首相の沈黙は、何を意味するのか。

小手先の選挙戦術では

少し前までの首相は違った。
年頭の記者会見で「憲法改正参院選でしっかり訴えていく」と述べたのに続き、直後のNHK番組では「改憲を考えている責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」と踏み込んだ。
憲法改正案を発議するには衆参両院での「3分の2」が絶対要件だ。今年の参院選でそのラインをクリアしたいという意思表示である。3月には「私の在任中に成し遂げたい」と実現の期限にも言及した。
安倍氏自民党総裁任期は2018年9月までだ。特例的な任期延長がない限り、今回の参院選がラストチャンスになる。衆参同日選が可能になるような国会日程を組んだのも、改憲への執念とみられていた。
もしも、憲法改正の機が熟していないと首相が考え直した結果の沈黙であるなら、決して不自然なことではない。国の骨格を定める憲法は、国民の広範な同意に支えられるべきものだからだ。
しかし、実際に首相が改憲を棚上げしたとは到底考えられない。首相が好んで口にしてきた「戦後レジームからの脱却」とは、「占領軍による押しつけ憲法の書き換え」と同義と受け止められている。
すなわち、遊説で憲法に触れないのは、ひとえに選挙戦術であろう。自民党幹部は「改憲を訴えても票にならない」とあからさまに語る。
自民党参院選用に作成した公約集は、「経済の好循環」が前面に押し出されている。憲法はと言えば、最後に申し訳程度に「各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」とあるだけだ。憲法のどこを改正するかも書かれていない。
選挙の時は経済一本やりで支持を求め、首尾よく勝利を収めたら、その力を安倍カラーの濃い政策に転用する。特定秘密保護法も、安全保障法制も、その方式で成立を見た。
仮に首相が再び同じやり方で改憲を狙っているとしたら、有権者を愚弄(ぐろう)するものではないか。憲法に対しては、奇策に頼ることなく、正々堂々と訴えることが、最高権力者の取るべき態度であろう。
憲法は、国民と政府が共有する最も大事な決まり事だ。そのあり方について不断に議論がなされるのはむしろ健全な社会の証明にもなる。
ただし、今の日本ではなかなか落ち着いた憲法論議が成立しない。その大きな要因は、政権党である自民党が時代に逆行するような改正草案を保持していることだ。

論議の土台を立て直せ

野党時代の12年にまとめられた自民党の草案は、前文で日本の伝統を賛美し、天皇国家元首化や自衛隊の「国防軍」化、非常時の国家緊急権などを盛り込んでいる。
しかも、国民の権利を「公益及び公の秩序」の下に狭く制限しようとする条文がいくつもある。
人間は本来、多様だ。多様な集団が一定の領域で共存していくために、憲法という決まり事がある。なのに、自民党の草案は、憲法によって国民を一つの型にはめ込もうとしているかのようだ。
小泉政権時代、自民党の立党50年に合わせて採択された新憲法草案は、まだしも穏健だった。伝統賛美の前文はなかったし、天皇の元首化にも触れていない。自衛隊は「自衛軍」となっていた。
このように自民党の立ち位置が大きく右に寄った反作用として、旧民主党左傾化が目立つようになった。現民進党もその流れにある。
民進党参院選ポスターの一つには「まず、2/3をとらせないこと。」と書かれている。これでは民進党憲法にどう向き合おうとしているのか、伝わってこない。
自民党が観念的な自主憲法論に固執し、最大野党がかつての社会党のように「改憲阻止」に主眼を置くようでは、憲法をめぐる論議は空洞化する一方だろう。
改憲勢力参院で3分の2に到達するかどうかは、確かに重要な指標だ。ただ、内実を伴わなければ数の消長はむなしいものになる。
選挙戦を通じて、憲法論議の土台を健全な形に立て直すよう与野党に求めたい。無論、最も大きな責任を負うのは自民党である。
独善的なイデオロギー憲法を扱ってはならない。ましてや、「改憲隠し」で票を集めるような発想はもってのほかだ。選挙の前と後での使い分けは許されない。