(余録)物事の当事者ではない立場の「第三者」は… - 毎日新聞(2016年6月1日)

http://mainichi.jp/articles/20160601/ddm/001/070/190000c
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物事の当事者ではない立場の「第三者」は明治時代に西欧の法律とともに輸入された言葉らしい。ただ昔も局外者だからこそ、かえって局面が読めるという「岡目八目(おかめはちもく)」のような言葉もあった。
この「岡」は傍(かたわ)らという意味で、交際もない相手をわきから恋する「岡ぼれ」、他人の仲が良いのを関係ない者がねたむ「岡焼き」という言葉もある。同じく「岡評議」「岡吟味(ぎみ)」は物事の局外者がする議論のことで、無用の論議だという否定的な意味に用いられた。
どうも昔は、局外者は黙っているべきだという考えだったらしい。しかし今や企業や公的機関に何か不祥事があるたびに第三者委員会による検証と、調査報告がなされるのが通例となった。公正、中立、客観的に説明責任を尽くす決め手とされる現代の「岡吟味」だ。
東京五輪招致の不正疑惑では日本オリンピック委員会が第三者の調査チームに真相解明を委ねた。国際陸連前会長周辺のコンサルタント会社に2億円超が支払われたのが疑惑とあらば海外での調査も必要だろう。納得される調査結果なしには五輪熱はさらに冷めよう。
一方、政治資金流用疑惑の渦中の舛添要一(ますぞえよういち)東京都知事は事態収拾に持ち出した第三者の調査そのものが火だるまとなった。何しろ調査費は知事の自費、依頼した人物名も明かされない。数々の第三者委員会の調査の格付けをした弁護士は「信用力は皆無」と酷評する。
不祥事のみそぎに利用される第三者の調査だが、はなから「岡」の体(てい)をなさないのは珍しい。今や社会の健全に必須(ひっす)の手立てとなった第三者調査の信用を破壊する「トップリーダー」こそ無用である。