オバマ大統領の広島訪問から私たちは何を引き継ぐのか - 川崎哲のブログ(2016年5月29日)


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(PDF版)
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「同盟」ではなく、普遍的な平和こそ

オバマ氏がヒロシマナガサキを人類の観点から語ったのとは対照的に、これに続く安倍首相は「日米同盟」をことさらに強調する演説を行った。いわく「日米同盟は世界に希望を生み出す同盟でなければならない」と。しかし、原爆慰霊碑と原爆ドームを背景に語られるこのような「同盟」論に、私は強い違和感を覚えた。
既に述べたように、ヒロシマナガサキは、戦争の行き着く先を世界に示したのであり、世界恒久平和へのメッセージを発してきた。原爆で被害を受けた人々は、国民という単位ではなく、人間の尊厳と人類の生存の問題として自らの苦しい体験を振り絞るように語ってきた。その広島でオバマ氏は、戦争の残酷さと外交を通じて戦争を防ぐことの重要性を語った。それは、日本国憲法9条の精神に根底で通じている。そもそも9条の平和主義は、原爆がもたらした壊滅によって戦争の本質を学んだ日本国民が、二度と過ちをくり返してはならないと今日まで維持してきたものである。
その反面、今日の日本では、そのような平和主義をナイーブなものと見下す風潮が強まっていることも事実だ。そうした中でオバマ氏が今回広島で発した言葉の中から、私たちはヒロシマナガサキのもつ狭い国益をこえた普遍的な平和という視点を再認識すべきだろう。
「同盟」とは基本的に敵・味方を区別する枠組みであり、ヒロシマナガサキのメッセージとは対極にある概念だ。安倍首相は「強固な日米同盟」をアピールするためにヒロシマを利用しようとしたのだと思われる。それが国民に広く受容されるような形で「成功」したと私は思わないが、これはヒロシマの悪用だ。同盟の名の下で「希望」どころか日々犠牲を強いられている沖縄にしてみれば、さらに悪意ある茶番にしか見えないだろう。

オバマ大統領 広島平和公園献花〜スピーチ(ノーカット) Barack Obama's speach in hiroshima 2016.5.27