(憲法施行69年 東京・ハワイ ネット対談) 世界の英知のミックス 戦争「廃止」の重み考えて - 東京新聞(2016年5月3日)


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◆押し付け論通用しない

古関) シンゴさんは、十四歳から外国で生活していますね。日本で中学生のころに憲法の話なんてやってないでしょう。なぜ憲法に興味を持ったんですか。

Shing02) 二年前に、アーティストの知人から「日本国憲法について語るという作品を作ってはどうか」という打診があって、引き受けたのがきっかけです。

古関) 日本では憲法は、米国が作ったという人がとても多いのですが、GHQが土台を作りました。私は長い間、日本政府とGHQとの間でどんなやりとりがあったのかを研究してきましたが、シンゴさんの歌詞には感心しました。憲法の民間草案にも触れていますね。日本では憲法の勉強で「暗記しろ」と言われてきた学生が多いのですが、シンゴさんはかなりいろいろな本を読んだのでは。

S) 米国の図書館とか英語文献には日本に入ってきていない情報がいっぱいあります。日本での議論に有益なことがたくさんあったので、できるだけ歌詞に反映するように努力しました。それと憲法制定の過程で、GHQ民政局が民間草案の影響を受けたのは事実ですし、帝国議会で時間をかけて話し合い、承認したものが日本国憲法であるということを明確にしたかったんです。もう一つは外国人が書いたという論点に対して、歴史的にみたら日本が西洋化していく中で、明治の大日本帝国憲法も外国人が起草したとも言えるものであるから、押し付け憲法論は通用しないのではないかということを言いたかった。

古関) 実は、民間草案のことはあまり知られていませんでした。日本政府とGHQの間のことばかりが言われてきて、僕は七十歳を過ぎていますけど、学生時代もそう習ってきました。シンゴさんのような世代が民間草案を知っていたことに、とても新しい時代を感じました。

S) はい。といっても、僕も四十歳になります。

古関) 中年ですね、日本でいう。

S) ええ。だから、それなりに勉強してヒストリー(歴史)を一つのストーリーとして他の人に伝えられるようにならないと、結局メディアに左右されちゃうのではと危惧しているんです。

司会 瀬口) 曲の中で「民定憲法のメガミックス」という歌詞がありますね。

S) 叱られることを覚悟で、DJミックス(ヒップホップのDJが複数の音源を組み合わせて即興的に一つの作品とする音楽表現)として書きました。今の憲法を批判する人の間では、憲法学者でもないGHQ民政局の素人が持ち合わせてつくった張りぼてだという見方がある。しかし僕は、結果的には他国の憲法の良いところを合体させた、相乗効果を期待できるようなものだったと思う。敗戦後、白紙からだったからこそなしえた偶然の奇跡というか。限られた時間で、それをする自由が許された。その憲法が七十年守られてきたことはすごいと思いますね。

自衛隊の海外派遣の道を広げた集団的自衛権の行使容認で、政府は憲法一三条が規定した国民の「生命・自由・幸福追求の権利」が根底的に覆される事態が明白な場合などの条件を掲げました。一三条はこれまでも自衛のための必要最小限度の武力行使ができる根拠とされてきました。対談は、一三条と安全保障のパートナーである米国の独立宣言の関係に踏み込んでいきます>


◆幸福追求おかしい解釈

古関) シンゴさんが曲で書いたように、憲法一三条には米独立宣言の「生命、自由および幸福追求」がそのまま入っている。僕が学生のころは、一三条は独立宣言の丸写しと習ったものです。調べた限りでは、憲法制定過程で日本側には一三条を変えようという考えはなかった。多くの政治家は米独立宣言に始まり、近代憲法の普遍的理念だとは知らず、ほとんど重視してこなかった。今はプライバシー権とか、二五条と一三条を一体的に考える環境権が重要な条項となり、一三条は大学の講義でも長い時間をかけてやるほど重要になりました。そこには七十年という歴史を感じる。

S) ヒップホップでは「サンプリング」という言葉があります。他から拝借して一部分を切り取るという意味です。米独立宣言のフレーズは、英国の哲学者ジョン・ロックから借りたもの。独立宣言を書いたトーマス・ジェファソンは、ロックの「生命、自由および財産の権利」と「幸福追求」という二つの言葉を引いて、英国への抵抗として「財産」を「幸福追求」に置き換えて詩的な表現にした。それは幸福が侵害されているという意味があったし、独立戦争でバラバラだった国内をまとめる力があったと思う。そういう歴史的な背景のある言葉が日本国憲法にあり、そのフレーズが集団的自衛権の議論に適用されているところに、面白さと皮肉を感じます。

古関) 確かに、日本と米国では「幸福追求」という言葉を入れた背景がまったく違う。日本の歴史を振り返ると、戦争を経験し、経済復興を遂げ、いかに経済的に豊かになるのかを求めてきた。ただそれだけでは精神的に充足されないと多くの人が気づき、幸福が注目されている。それは米国が求めてきたものとは異なりますが、一三条は人権の基本的理念となっているし、これからますます大きな意義を持ってくるのではないでしょうか。

S) ある言葉にどのような意味を持たせるのかに、憲法や法律の重みがあると思うんです。だからこそ、読み取る力がなければいけない。同じ憲法でも人々の考え方、運用の仕方によって、国の方向はいくらでもかじ取りができる。ですから、この憲法がなければこれができないとか、この憲法があるから足かせになっているという議論は、結局は責任転嫁しているだけなのではないでしょうか。

瀬口) シンゴさんの曲の歌詞には、「憲法は解釈で軍を動かすためにあらず」とありますね。

S) 憲法は政府が国民の権利を侵害しないように守るもの。第三者の攻撃から国民を守るために幸福追求を持ち出して、自分たちが攻撃していいという論理の組み立て方は、条文の意味を理解していればおかしいと思うはずです。

<いよいよ憲法の本丸である「戦争の放棄」を定めた九条が話題になります。日本は「建前と本音」、米国は「理想と現実」がそれぞれぶつかり合う社会であるという考え方を手掛かりに、九条を抱える日本の矛盾に切り込んでいきます>

◆法の「前」でなく「下」

古関) 日本では安全保障関連法制のこともあり、多くの人が九条に強い関心を持っている。シンゴさんは九条をどう見てますか。

Shing02) メッセージですね。平和のためには武力を行使しないどころか、持たないというのは究極の条文です。でも実際はどうか。自衛隊が合憲化され、日本の軍事費がどれほどのものか。ただ単に戦争に行きたくないから九条を守りたいのか。じゃあほかの国が代理で行ってくれればそれでいいのか。日本人は七十年間という現実と歴史の重みをどれだけ大事にしていくのかという話になりますし、九条のメッセージをどう世界に発信していけるのかにかかっていると思います。

古関) 確かに、ただ平和、平和といって何もしなければ平和な時代はやってこない。しかし、軍事力で平和が守れると考えることも現実的ではない。日本では現実主義者が軍隊を持たないといけないと言っているが、世の中そんなに単純ではない。

S) 戦争が起きたら武力で解決しようという単純な問題の解決の仕方ではなくて、軍を配備することによってどれぐらい経済が潤うのかとか、地政学上なぜ日本に米軍基地が集中しているのかとか。そういう観点からも考えていく必要があると思います。

古関) 九条の「戦争の放棄」は、僕が調べた限りではマッカーサーの発想です。彼は「戦争」は放棄ではなく「abolish」、つまり廃止と言った。この単語を大文字のAで始めた場合、米国では奴隷廃止を意味しており、いまは廃止主義者というと核廃絶運動家を指すそうです。マッカーサーは戦争ばかりやってきた軍人ですが、日本の憲法に戦争廃止という重みを与えようとしたことを、今こそ考える必要がある。

S) 米国は理想と現実がぶつかり合う社会。だから独立宣言や憲法を書いた時も理想という崇高なものがあるが、現実には戦争、奴隷制度、人種差別など山積している。それでもなんとか理想を掲げ、時間をかけてでも一個ずつ解決しようとする。一方、日本は本音と建前の社会。本音を隠したままだったり、暗黙の了解がたくさんあるので、問題をただ積み上げていっている。だから議論が進展しない部分がある。

古関) 本当にそうですね。日本では秘密は墓場まで持って行く。最後の最後までしゃべらない。「情報公開法」は、米国では二十五年たったら原則公開です。米国はもともと日本のような封建社会の歴史がなく、近代とともに生まれ、近代こそすべてという考えがある。その違いは非常に大きい。日米の考え方の差は例えば、憲法一四条の「法の下の平等」に象徴されています。英語では「Equality before the Law」。直訳すると「法の前」です。日本人にとってみると、法律は私たちの上にあり、偉い人たちがつくってくれるものだから「法の下」と言い、自分たちがつくるという考えがなかったんですね。

<一時間半に及んだ対談はいよいよ終盤。キーワードは政治と憲法への関心です。「権力に屈するな」と歌うシンゴさんは一人一人が足元を見つめて動くことの重要性を訴え、古関さんは生活の中で憲法に関心を持つ文化に期待を寄せます>

瀬口) 十一月三日に憲法公布七十年を迎える。憲法は戦後どんな役割を果たしてきたと思いますか。

S) 良くも悪くも、憲法について考えなくてもいい環境をつくった憲法だったのでは。敗戦、占領、そして経済至上主義があって、憲法は後回しだった。米国もずっと代理戦争してくれるから、それを応援するだけでよいと。時代とともに変わっていくのは人間の使命と思う。憲法も絶対に変えてはいけないとは思いません。でも変えるならば、憲法にのっとってやらなければいけない。

古関) 七十年も過ぎると、なぜああいう憲法ができたのかは昔の話になった。しかし一九四五年八月の敗戦段階では私たちが考えている以上に、日本に侵略された周辺国は日本に脅威を感じ、反感を持っていたことを知っておかないと。自国の敗戦体験だけではなくてね。
世界が不安定な状況の中、日本が掲げてきた憲法の理念、国民主権や人権の尊重、平和主義をどう守っていくのかを考えると、シンゴさんが言うように、国民みんなで議論しないで結論を出すのはおかしい。安保法制なんかも、国会も含めて表面的な議論ばかりしてきた感じがしている。

◆生活の中で憲法考える

S) 意図的に表面的な議論にとどめておきたい部分があるのでは。もしそうなら、深刻な問題です。多くの人が政治離れを起こしている部分がずっとあった。政治への関心は、憲法への関心にも直結している。

古関) 憲法や政治に国民が関心を持ったのは七〇年代が大きな節目だった。ベトナム戦争や沖縄が返還されたり。それ以降、国民が自分たちの意見を発揮することはできなかったのか、しなかったのか。気付いてみたら、何もしてこなかったと、僕は反省している。シンゴさんのように仕事をしながら憲法に関心を持っていて、キザな言い方すると、生活の中で憲法を考えることこそ文化だと思うのです。

S) グローバルな問題も、それぞれローカルなところからやっていけば、答えは見つかる。生き方、経済、法律、憲法。本当に自分たちの自由を取り返すという意味では、自発的に発言するだけじゃなくて、組織していったり行動していったりってことが答えなんじゃないか。上から答えが降ってくるとか、政治家が解決してくれるという考えから脱却しないと。古関さんの著書「日本国憲法の誕生」で、民間草案が現憲法に反映されたことを「激動の時代こそ小が大を制す」と評価しているところが、印象的でした。

古関) 残念ながら、シンゴさんのような人は多くはないですけど、多くの人と話をすることによって、何らかの合意をつくってゆく、そんな「歴史の創造」をしていく時代だと思う。

S) 本音と建前で言えば、建前なくしては合意は得られません。建前は文字通り建物の骨組みで、骨組みなくしては意見の違う人が共存することはあり得ない。憲法は一語一句何を意味しているのかだけではなく、その精神を理解し、共有しないと。歴史は積み重なっているのに、それができていない。精神が共有できていれば、仮に解釈がまったく違ったとしても、すごく有益で前に進める議論ができるはずですよ。

文・小川慎一/写真・北村彰/グラフィック・佐藤圭美

Shing02日本国憲法