戦後日本 情熱の結晶 西洋美術館が世界遺産へ - 東京新聞(2016年5月19日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201605/CK2016051902000148.html
http://megalodon.jp/2016-0519-0911-36/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201605/CK2016051902000148.html

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関の勧告で、国立西洋美術館(東京都台東区)を含む近代建築の巨匠ル・コルビュジエの建築作品(七カ国、十七資産)が世界文化遺産に登録されることが確実となった。建物の魅力やこれからの活用に向けた考えを、馬渕明子館長(68)に聞いた。 (聞き手・松尾博史)

−三度目の挑戦。登録勧告を聞いた感想は。
多くの人の努力でここまで来たことに、まずはほっとした。正式には七月の決定を待たなければならず喜びは取っておきたい。

−日本で唯一のコルビュジエの作品として、見どころを挙げるとしたら。
ここに来た人はいきなり壁やドアにぶつかるのでなく、柱だけがある「ピロティ」を通って建物に入る。室内に外光をしっかり取り入れる工夫もある。外部とつながる快適さを感じる建物。コルビュジエの作品は住宅が多いが、ここは公共建築なので、その思想をだれもが体感できる。

−実施設計を担当したのは日本人の弟子(前川国男、坂倉準三、吉阪隆正)だった。
パリで学んだ近代建築を戦後日本という土壌に根付かせるための作業だった。その後、弟子たちは数々の有名な建築を展開した。日本におけるコルビュジエの影響は非常に大きい。西洋美術館が、そのもととなったことを知ってほしい。

−完成時の構想、姿とは変わった部分もある。
当時は、作品に空気や光が与える影響の研究が進んでいなかったが、今は意識が変わった。手狭になって使い方を変えた部屋もある。時代とともに変えていかないといけない部分もある。大勢の人が来るのにはふさわしくないと立ち入り禁止にした場所もある。
ただ、できるところは「復元」していきたい。元の館長室をしばらく倉庫のようにしていたが、なかなかすてきなところ。太い柱に色が塗られていたりして。あと、屋上なども。改修して人数を限定して公開できないかと考えている。

−美術館ができるまでのいきさつも奥深い。
川崎造船所社長の)松方幸次郎が、欧州に行けない日本人に美術品を見せたいと集めたコレクションが日本の敗戦でフランスに押収され、吉田茂の交渉で返還に至った。それを展示する美術館をつくるためにたくさんの人が協力し、寄付をした。美術館開館で「やっと日本は焼け野原から平和になった」と多くの人が実感しただろう。そんな戦争前後の日本人の西洋美術に対する情熱を全部含めて世界遺産にしてほしいと、私は思う。

−今後への期待は。
日本ではまだ、人々の興味の対象として建築の地位は低い。美術館が世界文化遺産になることで、建築への関心が高まり「こういう建築がいい」「いや駄目だ」と、みんながもっと議論する社会になったらいい。公共の建築を造るのには、お金と時間がかかる。どの地域にどの建築がふさわしいか納税者がリクエストすることは重要だと思う。
<まぶち・あきこ> 神奈川県茅ケ崎市出身。専門は西洋近代美術史。東京大助手、国立西洋美術館主任研究官、日本女子大教授などを経て2013年8月から現職。