<サハリン残留者>「魂の集まる場所」札幌に共同墓所 - 毎日新聞(2016年5月15日)

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戦後、樺太(現ロシア・サハリン)残留を強いられた邦人らを祖国で供養しようと、NPO法人「日本サハリン協会」(東京)などは14日、札幌市南区の藤野聖山園に共同墓所を建立し、落成式典と慰霊祭を行った。残留邦人らでつくる「サハリン日本人会(北海道人会)」の会員ら約120人が参列し、赤いカーネーションを献花した。【立松敏幸】
共同墓所は当初、経済的理由で墓を持てないサハリンからの永住帰国者のために計画。その後、帰国がかなわず亡くなった残留邦人の家族らが「樺太関係者の魂の集まる場所にしたい」などと要望し、残留邦人も含めた共同墓所とした。建設費400万円は寄付金で賄った。
共同墓所は広さ約5平方メートル。日本とサハリンに見立てた高さ約2メートルの墓石2本を並べており、両国の自由な往来を象徴してカモメを彫った。
この日は北海道稚内市に住む永住帰国者の川瀬信子さん(82)と金川民子さん(72)がそれぞれ夫の遺骨を納骨した。
式典では、永住帰国者代表の植松キクエさん(92)=札幌市南区=が「国の援助で生活している私たちは自力で墓が持てない。サハリンで苦労した人と入れる墓ができて、本当にありがたい」と謝辞を述べた。
日本サハリン協会によると、サハリン残留邦人はこれまで134世帯303人が永住帰国している。

◇「亡き夫も喜ぶ」
「とても安心した。主人は自分の母親が眠る日本を愛していたので、とても喜んでいるはず」。北海道稚内市金川民子さんは、稚内市内の寺に預けていた夫英男さん(享年66)の遺骨を納め、ホッとした表情を見せた。
民子さんはサハリン出身で、1998年に英男さんと結婚。日本への永住帰国を望んでいた英男さんと一緒に2000年10月に帰国した。稚内で生活を始め、2人ともがむしゃらに働いた。民子さんは61歳の時に道立有朋高校(札幌市)の通信制に入学。4年間かけて卒業し、日本語の読み書きもできるようになった。
2人に不幸が襲ったのは09年12月。英男さんが乗用車を運転中、誤って稚内港に転落し、帰らぬ人となった。大雪の日だった。「突然、亡くなるなんて考えてもいなかった」。墓を建てることができず、遺骨は市内の寺に預けた。
骨をうずめる覚悟でやって来た日本で、やっとその場所が見つかった。納骨の際、心の中で「安心して眠ってください」と英男さんに声をかけた。
民子さんは「年に1度は墓参りをしたい」。墓前で英男さんと語らうのを楽しみにしている。