ALS患者拒否 見過ごせぬ国会の差別 - 東京新聞(2016年5月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016051402000151.html
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国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会で、法の理念が踏みにじられた。障害のある人を政争の具として扱うような人権意識は看過できない。こんな議員たちに法を論じる資格はない。
「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」−。
二〇〇六年に採択された国連の障害者権利条約の起草には、世界の障害のある人たちが“主人公”として携わった。よく叫ばれたのが、このスローガンだ。以来、障害問題を取り扱うときの基本原則として定着した。
今の国会議員たちには、障害者差別の歴史の知識も、ましてや障害は社会が生み出すという認識も欠如しているらしい。国際社会に対しても恥ずかしい限りである。
先の衆院厚生労働委員会参考人質疑で、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う日本ALS協会副会長の岡部宏生さんの出席が阻まれ、実現しなかった。
障害のある人の自立生活を後押しするための法律の改正案について、当事者として意見を述べる予定だった。重度の障害のある人が入院中にも、訪問介護サービスを利用できるようにするという見直しも盛り込まれていたからだ。
岡部さんは声を出すことがかなわず、口元やまばたきの合図でコミュニケーションを取る。読み取りの訓練を積み、慣れ親しんだヘルパーによる通訳が入院時にいかに重要かを、議員たちの前で身をもって示したかったに違いない。
他の法案を巡る与野党間の駆け引きの末、その貴重な機会が奪われてしまった。殊に見過ごせないのは、中止の理由が「やりとりに時間がかかる」とされた点だ。
四月に施行された障害者差別解消法は、障害に応じてできる限りの配慮を求め、拒んだり、怠ったりするのを差別として禁止した。
にもかかわらず、ヘルパーによる意思疎通の支援も、時間確保の工夫も認められず、門前払いされたに等しい。まさに差別である。
条約の批准に不可欠として全会一致で定めた法の精神を、範を垂れるべき議員たちが自ら損ねる。無知のそしりも免れまい。
三権分立を重んじて、この法律は差別禁止規定の対象から国会と裁判所を外し、自律的措置に委ねた形である。しかし、もはや国会には法網が必要かもしれない。
厚労委員長は陳謝したというが、それで済ませるべき問題ではあるまい。自民、民進両党は、岡部さんの国会での意見陳述の場をあらためて設ける責任がある。