9条とあゆむ(上) 「軍国少年」反戦訴え:神奈川 - 東京新聞(2016年5月3日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201605/CK2016050302000139.html
http://megalodon.jp/2016-0504-1219-46/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201605/CK2016050302000139.html

◆「憲法9条ノーベル平和賞を」実行委共同代表・落合正行さん(83)
かつての軍国少年は戦争や病床体験を経て、平和の大切さを痛感、反戦を訴えるようになった。「憲法9条ノーベル平和賞を」実行委員会に届く賛同署名には、「九条は世界の宝」「九条の考えを国内外に発信する取り組み」などと書かれた手紙が添えられている。目を通すたび、「この九条を守らなければならない」と気持ちを新たにする。
小学六年だった一九四五年七月、疎開先の甲府市が米軍の空襲を受けた。焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、上空が真っ赤に染まった。当時は軍国少年。耐えて勝つんだと信じていただけに、空襲ですべてが焼き尽くされ、桑の葉や白湯(さゆ)しか口にできない現実に強い衝撃を受けた。高校時代は肺結核が再発して三年間休学。病床で思うようにならない体になったことでも命の大切さ、平和の尊さを痛感した。
療養中、父の知人で、社会運動家の妹尾義郎氏が自宅を訪ねてきて、無抵抗主義が人類を救うというガンジーの平和思想に触れた。四六年に公布された九条は、武力を保持しない無抵抗主義だと理解した。ただし、「九条だけだと絵に描いた餅。九条を守る市民運動があってはじめて平和を実現できる」と考えた。社会に出てからは労働組合活動に力を入れ、安保闘争ベトナム反戦運動に積極的に関わった。
私立大事務局長を定年退職後、九条の会を知人と発足させて勉強会を重ねたが、市民を巻き込んだ運動としての広がりに限界を感じていた。そんな時、勉強会に顔を出していた主婦鷹巣直美さん(39)=座間市=から、九条をノーベル平和賞に推薦するアイデアを聞かされた。「面白いと思った。九条を広く伝えられるぞと」
実行委を立ち上げ、署名活動を始めると、安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定した一四年夏ごろから署名数が急速に伸びた。現在は約七十二万筆。支援の輪は海外にも広がり、旧日本軍の侵略行為を受けたアジア諸国からも「九条を守れ」との声が届くようになった。
一方、「平和ボケ」「他国から攻められた時にどうするのか」といった反対意見も受けるようになった。九条をなくそうと必死なのは、九条があることで、やりたくてもできないことがあるからだ、と気付く。「九条は決して抽象的概念にとどまらず、現実的な力を持っていることの証しだ」。若い頃から平和運動を続けてきたが、九条の「力」を知ったのは鷹巣さんと運動を始めてからだった。
落合さんは表情を引き締めて言う。「国家間の関係を強者と弱者で捉えるのは浅はかだ。九条を持つ日本人だからこそもっと高い次元で動けるはずだ。不断の努力で九条を守らねばならない」 (寺岡秀樹)
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安全保障関連法が施行され、平和を希求する憲法九条の存在があらためて問い直されている。具体的な行動に移しながらその大切さを訴えている県内の三人を紹介し、私たちの生活に息づく九条の意味について考えてみたい。
<「憲法9条ノーベル平和賞を」の活動> 2013年1月、鷹巣さんが「9条を広め、世界中の子どもを戦争から守りたい」との思いから一人で活動を開始。同年8月、落合さんらと9人で実行委を発足させ、「憲法9条を保持している日本国民」を候補にして署名活動などを展開。14、15年は候補としてノーベル賞委員会に正式受理されたが、受賞を逃した。今年は大学教授、国会議員らからなる推薦人が15年の倍の181人に上っている。