栃木女児殺害 「自白」に頼らぬ捜査を - 東京新聞(2016年4月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040902000146.html
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栃木県内で二〇〇五年に起きた女児殺害事件の判決は「無期懲役」だった。捜査段階での自白調書が信用できるかが焦点だった。否認に転じた被告の言葉をどう判断するか−。難しい裁判だった。
強制や脅迫による自白は証拠とすることができない。自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合は有罪とされず刑罰を科せられない−。これらは憲法三八条で定められている。
つまり任意性のない自白には証拠能力がない原則を明らかにしている。
任意性のある自白でも、これを補強する証拠が別にないと、有罪の証拠とすることができない。その原則も明示している。
殺人罪に問われた今回の裁判は、この憲法の規定を思い起こさせる。同県今市市(現日光市)の小一女児殺害事件の裁判員裁判では、ほとんど有力な物証がない中で、被告の捜査段階の「自白」が最大の焦点だったからだ。
一四年の自白調書では、いたずら目的で女児を車に乗せ、自宅アパートに連れてきたことや、ナイフで胸のあたりを刺したことなどが記されている。
だが、被告はやがて否認に転じ、「殺していない」と公判でも述べた。弁護側は「捜査段階で『自白すれば刑が軽くなる』との利益誘導があった」などと指摘した。虚偽自白だったとしたのだ。
検察は取り調べの録音・録画を法廷で再生した。「(女児を)立たせたまま五回くらい刺した」「早く楽にしてあげようと(膝から崩れ落ちた後も)何回か刺した」「顔や車、アパートも知られている。殺すしかないと思った」
取り調べの中で被告が身ぶり手ぶりを交えて話していることなどを挙げて、検察側は「自白は具体的で迫真性があり、信用できる」と主張した。裁判員らはこの映像などを見て、総合的に判断し、「有罪」へと導いたのだろう。可視化による立証といえよう。
ただし、一部の可視化は恣意(しい)的に利用される恐れがある。必要なのは取り調べの全過程の録音・録画だ。裁判員裁判と地検特捜部の独自捜査事件をその対象とする法案が出ているが、全事件の3%にすぎない。冤罪(えんざい)を生まぬよう全事件を対象とすべきである。
また、いくら可視化されているといっても、自白に頼る捜査は危うい。犯人と結び付けられる証拠収集に全力を尽くし、犯人しか知り得ない「秘密の暴露」を探り当てる努力が求められよう。