(筆洗)巣立つ子との「別れの晩ごはん」はそれぞれの家の思い出味の「ライスカレー」がふさわしかろう - 東京新聞(2016年3月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016032802000144.html
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作家の向田邦子さんが、あるテレビプロデューサーに質問した。今まで食べた物の中で何が一番おいしかったか。
プロデューサーは答えた。「おふくろがつくったカレーだな」。<「コマ切れ(肉)の入った、うどん粉で固めたようなのでしょ?」といったら、「うん…」と答えたその目が潤んでいた。私だけではないのだな、と思った>寺山修司はカレー屋さんの前を通るたびに母親代わりだった、おばさんのことを思い出した。おばさんはいつも「食べざかりの私のためにライスカレーをお盆に盛ってくれた」。カレーの匂いや、おなかいっぱいの幸せ。カレーライスには「過去」の扉を優しく開ける不思議な魔力がありそうだ。
三月が尽きようとしている。四月からの新生活でわが子が家を離れて暮らすという、ご家庭もあるだろう。となれば、親子そろっての晩ごはんの回数も幾日しか残っていないことになる。当たり前の光景が当たり前ではなくなる。心からご同情申し上げる。
向田さんによれば「金を払っておもてで食べるのがカレーライス」で「自分の家で食べるのがライスカレー」だそうだ。巣立つ子との「別れの晩ごはん」はそれぞれの家の思い出味の「ライスカレー」がふさわしかろう。
いつもの皿に大盛りで。「いつでもカレーを食べに帰って来いよ」とだけ言えばいい。飛び立つ子はその味を忘れまい。