(余録)「貧困もなくなります。そうです、労働というものがなくなるのです… - 毎日新聞(2016年3月25日)

http://mainichi.jp/articles/20160325/ddm/001/070/178000c
http://megalodon.jp/2016-0325-0957-47/mainichi.jp/articles/20160325/ddm/001/070/178000c

「貧困もなくなります。そうです、労働というものがなくなるのです。何もかも生きた機械がやってくれます。人間は好きなことだけをするのです。自分を完成させるためにのみ生きるのです」
「ロボット」という言葉を世界に広めたチェコの作家チャペックの戯曲で、ロボット製造会社社長が語る夢の未来である。むろんこの手の話はうまくゆかず、ロボットの反乱が起こり人類は絶滅する。昨今の人工知能(AI)をめぐる論議を思い出す方もおられよう。
ロボットという言葉が定着する前は「チェコフランケンシュタイン」と評されたこの戯曲、人類が自分で作り出した物に滅ぼされるというSFの原型となった。自分の創造物におびえる心理をフランケンシュタイン・コンプレックスと呼ぶのは以前の小欄もふれた。
囲碁ソフト「アルファ碁」が世界トップ棋士に勝ち越し、書いた小説が星新一(ほししんいち)賞の1次選考を通過するなどAIの飛躍的進歩が注目される今日である。いきおい人間の仕事がAIに奪われ、30年ほど後にはAIが全人類の知能を上回る可能性もが取りざたされている。
すでに通信社の経済記事を書くAIも出現したから、こちらも人ごとではない。10〜20年後は国内労働人口の半数はAIに置き換え可能ともいわれる。さてこれは少子化時代の労働力不足にとっての福音(ふくいん)となるか、それとも途方もない格差社会の到来を意味するのか。
冒頭のような超楽観論から人類奴隷化や滅亡の予感まで、百(ひゃっ)家争鳴(かそうめい)のAI論である。ただほぼ一致した見方もある。一斉に同じことを覚えさせ、同じ解答を求めさせる教育は抜本的改革が要ることだ。