多様な桜を守った英国人 「絶滅」タイハク、京都へ穂木送る - 東京新聞(2016年3月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016032190070149.html
http://megalodon.jp/2016-0321-1023-12/www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016032190070149.html


英南東部のイングラム家の庭園だった敷地に咲くタイハク=昨年4月(阿部菜穂子さん提供)
タイハク(太白)やシロタエ(白妙)など、さまざまな日本の桜を英国で広めた園芸家コリングウッドイングラムさん(一八八〇〜一九八一年)の業績を、英国在住のジャーナリスト阿部菜穂子さん(57)が「チェリー・イングラム−日本の桜を救ったイギリス人」(岩波書店)にまとめた。二十世紀前半に多種多様な桜のコレクションに尽力した熱意の裏には、ソメイヨシノ一辺倒になっていく日本への危機感があった。 (ロンドン・小嶋麻友美
イングラムさんは元は鳥類研究者だったが、日本で見た桜に魅了され、二〇年ごろから収集を開始。国内外から取り寄せ、約百種を庭園で育成した。四八年には集大成の「観賞用の桜」を出版。接ぎ木に使う穂木(ほぎ)や苗木は各地に行き渡って英国の桜人気の礎を築いた。
英国で見かける個性豊かな桜に関心をもった阿部さんはイングラムさんの孫夫妻を訪ね、珍しい桜の収集を目的とした二六年春の訪日時の日記や、日本の桜愛好家たちとの書簡を入手。日記には「商業主義の波が数々の美しい桜をめでる心を日本人から奪ってしまったようだ」と、珍しい品種への関心が薄れていくことに憂慮が記されていた。
「自分で集められる限り集め、多様な桜が消えるのを救おうとイングラムさんは考えた。『日本人は将来、伝統の桜を英国や米国で探すことになるだろう』とも皮肉的に述べている」と阿部さんは話す。実際、日本で絶滅したとみられたタイハクは三二年、イングラムさんの庭園から京都に穂木が送られ、よみがえった。
なぜ日本はソメイヨシノばかりになったのか。日本でも取材した阿部さんは、近代化の歩みと深く関係していると知る。
そもそも日本古来の桜は地域で異なり、開花時期もばらばらだった。江戸時代には大名屋敷で二百五十もの栽培品種が生まれたが、明治維新で荒廃。一方、生育が早く、同じ時期に一斉に花開くソメイヨシノは、見る人に華やかな印象を与え、近代的な街並みを美しく彩るのに都合がよかった。ヤマザクラエドヒガンの名所だった上野や向島ソメイヨシノに入れ替わった。
日本でも、多様な栽培品種を守ろうとした愛好家らもいたが、少数の声は次第にかき消されていく。「ぱっと咲いて一斉に散るソメイヨシノ全体主義イデオロギーに利用された」(阿部さん)という面もある。敗戦後、焼け野原に急ぎ植樹されたのも生育が早いソメイヨシノだった。
「さまざまなすばらしい桜が日本にあることを、もっと知ってもらいたい」と阿部さんは話している。
<サクラ> サクラの仲間はバラ科のサクラ属に分類される。日本に自生するのは、ヤマザクラエドヒガンなど9〜10種。山に自生する「山桜」に対し人里で栽培されるサクラを「里桜」と呼ぶ。人里で何代も栽培を続けるうち野生の個体には見られない形質を持つサクラが生まれてくるため、それに固有の名前をつけたものが「栽培品種」。

チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人

チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人