(余録)「不幸は独りではやって来ない」ということわざが… - 毎日新聞(2016年3月17日)

http://mainichi.jp/articles/20160317/ddm/001/070/143000c
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「不幸は独りではやって来ない」ということわざが欧米の多くの国にある。つまり連れ立って来るというのだから、日本でいう「泣きっ面に蜂」である。このような不幸や災難の同時発生、連続発生を表すことわざはそれこそ世界中にある。
一つには災難が重なった記憶は忘れられないから、それを関連づけてしまう心理があろう。「パンを落とすと必ずバターのついた側が下になる」だ。二つ目には予想外の災難が日ごろの備えや判断の狂いをもたらし、別の災難をも呼び込んでしまうことも多いだろう。
三つ目はいくつもの災難が起こる危険な素地がもともとあった場合である。どの災難もその素地から起こるべくして起こったわけである。「悪いことは重なる」という人類普遍の“真理”はこうしてことわざになってきた。
ではこの安倍(あべ)政権閣僚の失態の同時発生はどのケースか。一昨日の衆院委で石破(いしば)茂(しげる)地方創生担当相は法改正案の説明にあたってすでに成立済みの改正内容を読み上げ、同じ日の参院委では林(はやし)幹雄(もとお)経済産業相が答弁に詰まって自らの「勉強不足」を認める一幕を演じた。
かたや政権の看板政策を担う重要閣僚にして役人の書いた紙を読み上げていただけなのを露呈し、もう一方は国民の命運を左右する原子力政策について担当閣僚が理解不足をさらけ出した。もちろんこの失態の同時発生、運の悪さや偶然で片付けるわけにはいかない。
衆目の一致するところ政権のたるみという素地から生まれた主要閣僚の失態の2人連れである。まさか政権トップはたまたまバターのついた方が下になっただけの不運と思っているのではあるまい。