<記者の目>民間人空襲被害者の補償問題=栗原俊雄(東京学芸部) - 毎日新聞(2016年2月25日)

http://mainichi.jp/articles/20160225/org/00m/070/003000c
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戦時不平等に終止符を
1945年3月10日の東京大空襲では、米軍による無差別爆撃により約10万人が亡くなった。71年前のことだが、今も補償を求めて闘っている人たちがいる。10万人の命日を前に、戦争がもたらした「未完の悲劇」の取材を続ける記者として、空襲被害者への補償問題を考えてみたい。
その「骨子」を見た時、あまりの後退ぶりに息をのんだ。昨年12月8日、衆院第1議員会館。第二次大戦末期に空襲被害に遭った人たちが、国による補償を実現させる立法を目指す集会だった。名古屋空襲で重傷を負い補償実現に取り組んできた杉山千佐子さん(100)、大阪空襲訴訟で原告団代表世話人を務めた安野輝子さん(76)の姿もあった。
支援する弁護士がその場で示したのが「空襲等被害者特別措置法」法案要綱の骨子だ。障害の程度に応じて、生存する障害者に150万円、70万円、35万円をそれぞれ支給する内容だ。

元軍人遺族らに総額50兆円補償
先の大戦では多くの人たちが被害を受けた。52年の独立後、「国と特別な関係にあった」などの理由で元軍人や軍属、その遺族らに年金などの補償や支援がなされてきた。今日までの総額は約50兆円。空襲被害を受けた民間人にはなされなかった。例えばB29の同じ爆弾で同じようなけがをした場合、軍人は国家補償を受けるが、民間人は受けられない。そんな不条理がまかり通ってきたのだ。
被害者たちは立法による解決を目指した。73〜89年に14回、軍人同様、補償を実現する法案が国会に提出されたが、成立しなかった。
被害者は次に司法に期待した。しかし裁判所は「戦争被害受忍論」、つまり「戦争で国民全体が被害に遭ったのだから、国民は等しくこれを耐え忍ばなければならない」という「法理」によって退けてきた。軍人軍属と民間人の差を考えると、およそ説得力に乏しいが、行政もこの法理をたてに補償に応じなかった。名古屋と東京、大阪などの空襲被害者が国家補償を求めて闘った裁判はそれぞれ87、2013、14年に最高裁で敗訴が確定した。一方で多くの判決が原告の被害を認定し、「立法による解決」を提案している。このため、被害者たちは再び立法活動に身を投じたのだ。お金のためだけではない。「人間として平等に扱ってほしい」という当然の気持ちからでもある。
10年、各地の空襲被害者らが「全国空襲被害者連絡協議会」を結成。支援する国会議員連盟と協議し、補償を実現する法律の「素案」をまとめた。主な内容は死者1人につき遺族に100万円▽15歳未満で孤児になった人に100万円▽負傷や病気になった人に、程度により40万〜100万円支給する。
先に見た「骨子」は補償の対象、金額とも大きく後退している。「遺族や孤児は対象外。これで補償と言えるのだろうか」。私はまずそう思った。「納得できない」と話す空襲被害者もいた。

司法が提案する立法による解決
「骨子」は東京大空襲訴訟に参加した4人の弁護士がまとめた。当事者がいるうちに補償を実現させたい。そのためには政府が越えるべきハードルを、訴訟の時より下げるのはいたしかたない。そういう判断だ。「財政が非常に厳しい中で、本当に苦渋の選択」(児玉勇二弁護士)であり、「最低限の要求内容」(中山武敏弁護士)である。
補償内容には議論の余地がある。動かしがたいのは、国策である戦争で被害に遭った人たちが理不尽に差別されたまま、人生の終盤にさしかかってなお、闘わなければならない事実の重さだ。
国は空襲被害者の詳細な実態調査をしておらず、補償対象者が何人いるか分からない。当然、補償の予算規模も決まらない。そしてこれまでの経緯を見る限り、司法や行政による救済は不可能に近い。とすれば、政治が解決しなければならない。
同じ「受忍論」で国家補償の対象外にされていたシベリア抑留経験者については10年6月16日、事実上の補償を行う「シベリア特措法」が議員立法で成立した。当時、与野党対立は激しく国会は荒れていた。補償の拡大を嫌う行政の抵抗もあり難航したが、党派をまたいだ努力で通常国会最終日、衆院本会議で可決、成立した。その瞬間多くの議員が立ち上がり、傍聴席の元抑留者に笑顔を向け、熱い拍手を送った。政治の力と意志を感じさせる光景だった。
急がないと補償すべき人がいなくなってしまう。「国、為政者はそれを待っている」。戦後「未」補償問題を取材していると、しばしばそんな言葉を聞く。そんなはずはない、と思いたい。シベリア特措法で見せた政治の意志と力を、もう一度見せてほしい。