原発事故から5年 許されぬ安全神話の復活 - 朝日新聞(2016年3月10日)

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できるだけ早く原子力発電に頼らない社会を実現すべきだ。
東日本大震災福島第一原発の事故が起きてから、明日で5年になる。私たちは社説で改めて、「原発ゼロ社会」の実現を訴えていく。
津地裁はきのう、関西電力高浜3、4号機(福井県)の運転を差し止める仮処分決定を出した。稼働中の原発を司法が止めるのは初めてのことだ。
安倍政権は、福島の原発事故の教訓をできる限り生かしたとは到底言えない。原発政策を震災前に押し戻し、再稼働へ突き進もうとしている。
今回の地裁の判断は、なし崩しの再稼働に対する国民の不安に沿ったものでもある。安倍政権は、原発事故がもたらした社会の変化に真摯(しんし)に向き合い、エネルギー政策の大きな転換へと動くべきである。

■新基準にも疑問
高浜をめぐっては昨年4月にも福井地裁が再稼働を禁じる仮処分決定を出した。
約8カ月後に別の裁判長が取り消したとはいえ、原子力規制委員会が「新規制基準に適合している」と判断した原発の安全性が2度にわたり否定された。
昨年4月の際、原発推進の立場からは「特異な裁判長による特異な判断」との批判もあったが、もはやそんなとらえ方をするわけにはいかない。
今回の決定は、事故を振り返り、環境破壊は国を超える可能性さえあるとし、「単に発電の効率性をもって、甚大な災禍とひきかえにすべきだとは言い難い」と述べた。
そのうえで事故原因の究明について関電や規制委の姿勢は不十分と批判。規制委の許可がただちに社会の安心の基礎となるとは考えられないと断じた。
新たな規制基準を満たしたとしても、それだけで原発の安全性が確保されるわけではない。その司法判断の意味は重い。
安倍政権は「規制委の判断を尊重して再稼働を進める方針に変わりない」(菅官房長官)としている。だが、事故後の安全規制の仕組み全般について、司法が根源的な疑問を呈した意味をよく考えるべきだ。

■問われる避難計画
朝日新聞は2011年7月に社説で「原発ゼロ社会」を提言した。当面どうしても必要な原発の稼働は認めるものの、危険度の高い原発や古い原発から閉めて20〜30年後をめどにすべて廃炉にするという考えだ。
実際にはこの5年のうち約2年1カ月は国内の原発がすべて止まっていた。当初心配された深刻な電力不足や経済の大混乱は起きず、「どうしても必要な原発」はさほど多くないことがわかった。再稼働の条件は厳しく設定すべきである。
原発の即時全面停止や依存度低減といった脱原発を求める世論が高まり、先月の朝日新聞世論調査でも過半数が再稼働に反対している。
安倍政権は当初は「原発依存度の低減」を掲げたが、徐々に新たな「安全神話」を思わせる言動が目立っている。
安倍首相は13年、東京五輪招致で原発の汚染水状況を「アンダーコントロール(管理下にある)」と世界にアピールした。規制委の新基準についても国会で「世界一厳しい」と持ち上げた。だが、今回の地裁決定は、その基準も再稼働の十分条件ではないとの判断を示した。
さらに避難計画の不備はかねて懸念の的だった。新基準に避難計画は入っておらず、規制委の審査対象になっていない。
高浜の場合、福井、京都、滋賀の3府県にまたがる約18万人が避難を余儀なくされるが、再稼働前に計画の実効性を確かめる訓練も実施されなかった。
地裁は「避難計画をも視野に入れた幅広い規制基準をつくる義務が国家にあるのではないか」と投げかけた。政府がただちに答えるべき問いだ。

■国民の重大な関心事
あれだけの事故でありながら原発を推進してきた人たちの責任は明らかになっていない。
津地裁が言う通り、原発事故を経験した国民は事故の影響の範囲について、「圧倒的な広さとその避難に大きな混乱が生じたことを知悉(ちしつ)している」。
にもかかわらず、政府と電力会社は事故を忘れたかのように再稼働へ足並みをそろえる。
東京電力炉心溶融の判定基準を今ごろ「発見」したり、九州電力が川内(せんだい)原発の再稼働前に約束していた免震重要棟の建設を撤回したりと、事業者の反省、安全優先の徹底は怪しい。
専門家をうまく使い、事故前のように仲間内で決めようとしているのか。疑念が膨らむ。
原子力政策は難解だが、原発は、人びとの暮らし方、生き方の選択と直結した問題であることを事故は思い起こさせた。
政権と少数の「原発ムラ」関係者たちが、いくら安全神話を復活させようとしても、事故前に戻ることはできない。原発はすでに大多数の国民の、身近で重大な関心事なのである。