ドイツ 寛容の力(下) 新ドイツ人生まれる - 東京新聞(2016年2月4日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016020402000145.html
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バルト海に面した旧東ドイツの港町ロストク。中世の商業都市が独立を守るために結束したハンザ同盟時代からのレンガ造りの建物とは、対照的な騒乱があった。
若者が続々と火炎瓶を投げ付ける先にあるのは、ベトナム人移民の住宅街。取り囲む群衆からは歓声が上がる…。
ドイツ統一の二年後、一九九二年に実際に起きた、外国人襲撃を再現した映画「ロストクの長い夜」のハイライトシーンだ。
監督したブルハン・クルバニさん(35)=写真=はアフガニスタン難民の子。政治活動に熱心なおじと祖父が逮捕され、両親は七九年、西ドイツに亡命した。
西ドイツで生まれ育ったが、外国人差別を感じ続けた。しかし、映画を製作した原動力は悔しさではなく「記憶を義務付けるドイツの文化」だと思っている。
ホロコーストユダヤ人大量殺害)に対して責任がある、歴史を忘れてはいけない、という(ドイツ人の)気持ちを、いつも感じてきた。学校で学んだことだ」。両親の出自には関係なく、戦後ドイツの精神をしっかりと受け継いでいる。
「ドイツに定着した外国人の子や孫の世代は文化を担っている。医師、弁護士、政治家になっている人もいる。移民社会になったという社会合意がある」という。
西ドイツが高度経済成長期に受け入れたトルコの労働者は家族を呼び寄せて定住。ドイツ人の嫌がる単純労働を担い、仲間内で固まって住んだ。メルケル首相は「多文化社会は失敗した」と嘆いた。
しかし、ドイツは学んだ。二〇〇五年施行の移民法で移住や独国籍を望む外国人にドイツ語習得を義務付け、技術者就労を促した。
戦後、移民、難民として入国し定住した人は家族を合わせ、全人口の五分の一、千六百万人に上る、との試算もある。「金髪、青い目」のドイツ人とともに、さまざまな皮膚の色、目の色をした人々が共生している。人類の未来の一部でもあるだろう。(熊倉逸男)=おわり

ロストックの長い夜 予告編

2015 ドイツ映画 映像の新しい地平(Deutsche Filmtage HORIZONTE 2015)
http://www.goethe.de/ins/jp/ja/tok/ver/ppa/20612152.html

ロストックの長い夜 公式サイト
http://jungundstark.de/