ドイツ寛容の力(中) 容易でない多文化主義 - 東京新聞(2016年2月3日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016020302000136.html
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「無責任で現実味がなく頑固なメルケル流の難民政策が、善意の市民を極右へと駆り立てるだろう」(ドイツ中部、男性)
「アラーの兄弟たちは何も変わっていない」(西部、女性)
みそか、ケルンで、女性たちが難民申請者を含む外国人らにあちこちで取り囲まれ暴行や窃盗の被害に遭った事件後、週刊誌シュピーゲルに、読者から寄せられた怒りの手紙だ。
現場の大聖堂前では抗議デモがあった。
メルケル与党内からも、難民受け入れに上限を設けるべきだとの声が相次いだ。
ドイツの人々の怒りは当然だ。犯人を罰し、また送還するのも適切な措置だろう。しかし、ほかの多くの難民まで排斥するのは、ドイツが掲げてきた人道に反する。
ドイツの女性論客たちは、難民側の問題をいくつか指摘する。
人権活動家は「女性の人権がない北アフリカや中東からの人々が移住してくるようになった」と事件の背景を探る。
イスラム研究者は「家父長的な考え方が問題だ。イスラム特有ではないが、イスラム諸国に広がっている」と言う。
ドイツ政府はドイツ語の習得を重視してきた。コミュニケーションなくして社会の統合はあり得ない。しかし、それではもちろん十分でもなく、女性観をはじめとする社会のルールやマナーを身に付けさせる必要性も出てきた。多文化主義とは、容易ならざる現実主義ともいえる。
社会のルールとは、何が犯罪かを線引きする法律ではない。ごみの分別、夜間や休日の静寂順守、ベランダには洗濯物を干さない−など、ドイツにはドイツの暮らしがある。多文化統合はただの理念ではなく、寛容とは互いに歩み寄る忍耐である。
もとより、押し寄せる百万人単位の難民申請者に、ドイツ一国では対応できない。欧州連合(EU)の試練でもある。厳しい逆風の吹く中、どんな結束と知恵を示せるのか。悩める世界の課題でもある。(熊倉逸男)