(余録)遠く離れたわが子4人をつららに見立てて詠んだ句がある… - 毎日新聞(2016年1月18日)

http://mainichi.jp/articles/20160118/ddm/001/070/168000c
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遠く離れたわが子4人をつららに見立てて詠んだ句がある。<小(ち)さきをば子供と思ふ軒(のき)氷柱(つらら)>。冬は日本と比べようもない寒さだ。作者は戦後のシベリア抑留中に亡くなった元満鉄職員の山本幡男(はたお)。家族への遺書を収容所の仲間に託した。届いたのは敗戦から12年目のことだ。
文字を書き残すのはスパイ行為とみなされる。仲間たちは長文を分担し懸命に暗記した。山本は過酷な生活の中で句会を開き、帰国の望みを捨てぬよう励まし続けてくれた。恩に報い、一字一句遺族に伝える使命がある。その思いが彼らの生きる力を支えたのかもしれない。作家、辺見じゅんさんの「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(文春文庫)に詳しい。
「顕一は(略)自分の才能に自惚(うぬぼ)れてはいけない。学と真理の道においては徹頭徹尾敬虔(てっとうてつびけいけん)でなくてはならぬ。立身出世などどうでもいい」。遺書は長男の顕一さん(80)に指針を与えた。
顕一さんは勉学に励み、仏文学者になる。大学を退職した今はフランス人監督の反核映画「ヒロシマ、そしてフクシマ」を3月に上映するため資金集めに奔走する。
5年前の夏、父の最期の地ハバロフスクを初めて訪れた。見上げた空が青く美しい。父も同じ空を見たのかと思うと涙があふれた。「最後に勝つものは道義だぞ」。遺書に込めた気持ちに応えられただろうか。自問は続く。
「君たちはどんなに辛(つら)い日があらうとも人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な理想を忘れてはならぬ」。遺書は、あまたの戦争犠牲者が戦後の日本へ宛てた手紙のように読める。世界に重苦しい空気が広がる今、その言葉が胸に迫る。

収容所(ラーゲリ)から来た遺書

収容所(ラーゲリ)から来た遺書 (文春文庫)

収容所(ラーゲリ)から来た遺書 (文春文庫)