強姦事件で無罪 DNAの扱いは慎重に - 東京新聞(2016年1月14日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016011402000140.html
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強姦(ごうかん)罪に問われた鹿児島市の男性被告が高裁で逆転無罪となった。再鑑定で別人のDNA型と判定されたからだ。公正さが深く疑われる。捜査機関はDNAの扱いをより慎重にせねばならない。
今や数兆人に一人という確率で個人を特定することができる。それがDNA型鑑定である。犯罪捜査に用いられれば、犯人の特定の有力な武器となりうる。
二〇一〇年に再審で無罪が確定した「足利事件」でも、冤罪(えんざい)と判明する決め手となったのがDNA型鑑定だった。同年に警察庁では運用の通達を出し、検査方法や鑑定経過の記録などを残すように求めている。足利事件で、鑑定記録の保管が適切でなかったためだ。
鑑定技術は進歩しても、それを扱う捜査員が適正・適切に用いなければ、誤った結論に導くこともありうる。今回の事件では一審は有罪判決だったが、DNAは微量で鑑定不能としていた。福岡高裁宮崎支部の判決は、捜査機関の鑑定手続きの不手際を突いている点において出色であろう。
まず判決では、鹿児島県警の科学捜査研究所の職員が、DNA溶液の残りをすべて廃棄したことを指摘した。また、鑑定検査記録の体裁を見ても、いつどのような形でなされたのかも不明とした。鑑定手順や内容の再現性についても、不十分とみた。検証資料となり、手続きの適正担保にもなる鑑定経過を記載した「メモ紙」までも廃棄されたとも指摘した。
「技術が著しく稚拙で不適切な操作をした可能性」があると述べたうえ、「被告のDNA型と整合しなかったことから、捜査官の意向を受けて判定不能と報告した可能性がある」とまで判決は言及している。つまり、客観的であるべき鑑定に何らかの恣意(しい)性が働いたことを示唆しているのだ。
検察側が裁判所に内密に鑑定を行った点についても「検察に有利な場合に限って明らかにする意図があったと疑われる」と厳しく批判している。むろん公正を疑わせることがあってはなるまい。
判決の大きなポイントは、鑑定を行う者の技量や意図次第で都合のいい結論に置き換えられる危険性を突いていることだ。これがまかり通れば冤罪事件はいくらでも起こり得る。
捜査段階の手続きに警鐘を鳴らしたといえる。当局は特定の証言をうのみにせず、客観的な証拠を積み重ねることが捜査の基本だとあらためて認識してほしい。