抑止力 高まってない 柳沢協二さんのウォッチ安保法制 - 東京新聞(2016年1月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201601/CK2016010902000129.html
http://megalodon.jp/2016-0109-1240-32/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201601/CK2016010902000129.html

二〇一六年の年が明け、大きな出来事が次々と起こっている。北朝鮮は四度目の核実験に踏み切り、中東ではサウジアラビアとイランが対立激化で国交を断絶した。南シナ海では、中国が人工島の滑走路を運用するため試験飛行を行った。
安倍晋三首相は八日、今年初の衆院予算委員会で「アジアの情勢、中東の情勢も緊迫している。国民の命を守り抜くため、必要な自衛の措置は何か。考え抜いた結果が今回の安全保障関連法だ」と主張した。
首相はこれまで「安保法の成立で日米同盟が完全に機能し、抑止力が高まる」と繰り返してきた。だが、安保法が成立し日米の関係が強化されても、北朝鮮の核開発は止めることはできていない。中国は南シナ海の実効支配の強化を続け、過激派組織「イスラム国」(IS)をめぐる中東の混乱も収拾の展望はない。抑止力は高まっていないのではないか。
「国民の命をどう守るか考え抜いた結果が安保法だ」と言うなら、まさに現実に起こっていることに安保法でどう対応していくのか、具体的に示さなければならない。
単に軍事的に米軍をこう支援する、ということだけではない。日本にとって問題の解決とは何なのかという独自の観点を持たなければならない。それがなければ米国の言われるがままにやらざるを得なくなる。
日本にとっての問題の解決をどう位置付け、安保法はそれにどう役立つのか。いつ、どのように発動し、その結果がどうなるのか。安保法に基づく米軍への支援や集団的自衛権行使では、国民に被害が及ぶ結果もあり得ることも含め、具体的に国民に説明する責任が政権にはある。 (聞き手・金杉貴雄)