(余録)映画「男はつらいよ」の寅さんは全国を放浪し… - 毎日新聞(2016年1月4日)

http://mainichi.jp/articles/20160104/ddm/001/070/091000c
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映画「男はつらいよ」の寅さんは全国を放浪し、さくらやおいちゃんの待つ東京の下町へ帰って来る。恒例の正月映画は望郷の思いをかき立てた。ふるさとは都会にもある。
東京・新宿の西富久(にしとみひさ)地区。一帯はバブルの絶頂期、再開発の名目で不動産業者の激しい地上げにさらされ、約220世帯の半数以上が転居した。やがてバブルは崩壊し、下町風情をとどめる住宅は虫食いのまま残る。地域の絆は裂かれ、時代の傷痕として語られた。
残った住民の有志は廃れた地域を再生しようと立ち上がる。早稲田大の協力を得て自らの手で再開発計画を作った。昨秋、55階建てのタワーマンションが完成した。再生の中心を担ったのは、夫婦でそば屋「いさ美庵」を営んできた笹野亨(ささのとおる)さん(72)。
15歳で上京し、日本橋の老舗で修業した。独立後はこの街で盛りそば1杯45円から商売を始めた。夜になれば幼い娘たちを近所の夫婦が預かってくれた。バブルのころ、地上げ屋が店舗兼自宅に10億円の値をつける。売ってここを離れる気にはなれなかった。商いとは地道なものだと修業中にたたき込まれていた。妻も「子供たちにふるさとを残してやりたい」と言った。
再生した街に、これから元の住民の8割が帰ってくる。笹野さんはほとんどの人を知っている。お得意さんの顔は忘れない。マンションの横には広場を作った。「ここで昔のように夏祭りをしたい」
手作りの再開発は20年以上の時間をかけて、ふるさとを取り戻す営みだった。正月、マンションの窓に明かりがともる。寅さんを演じた渥美清さんも、だんらんを見上げるこの街の寺で眠っている。

参考サイト)
完成した55階191m級「富久クロス コンフォートタワー」の様子(2015年10月4日撮影)
http://view.tokyo/?p=19067