大みそかに考える 「紅白」が聞こえた夜 - 東京新聞(2015年12月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015123102000153.html
http://megalodon.jp/2015-1231-1002-20/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015123102000153.html

戦後七十年の大みそか。この節目にこそ思いをいたし、日本人ならいつも心にとどめておきたい原風景があります。七十年前の大みそかです。
八月十五日の玉音放送へなだれ込む瀬戸際の攻防−。映画『日本のいちばん長い日』が今年八月公開され話題を呼びました。思えばこの一番「長い日」を頂点にした一九四五年もまた、当時の人たちには限りなく「長い年」に感じられたはずです。とにかく、いろいろなことがありました。
二月からの本土空襲に続き硫黄島玉砕、沖縄戦、広島、長崎の原爆、シベリア抑留。歴史の陰で、個々の日本人にとっては無論、家族の戦死や再会など人生の重大事が数多く凝縮した一年でした。
終戦後は、それぞれの悲喜劇に心の区切りをつける間もなく、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策です。新憲法を待つまでもなく財閥解体や農地解放と、秋から年末にかけて矢継ぎ早でした。
GHQが「民主主義」の浸透に重視した女性の参政権も、年末の法改正で実現しています。
米国で四五年秋、GHQ職員に採用された女性が、神奈川県の厚木基地に降り立ったのもちょうどそんな年の暮れでした。当時二十二歳。起草に携わった日本国憲法に「男女平等」を書き込んだベアテ・シロタ・ゴードンさん(二〇一二年死去)です。
十五歳まで約十年、戦前の日本に住んだ彼女は「貧しさゆえに身を売られる農家の娘」など、日本女性を苛(さいな)む不平等を知っていました。そのうえで、再来日の年の瀬に目にした女性のたくましさを、自伝『1945年のクリスマス』(柏書房)に活写しています。
東京都内で<すれ違った電車はどれも満員で赤ん坊をおぶった若いお母さんがドアにぶら下がっているのを見た…。後れ毛が風に踊り、ねんねこからはみ出た赤ん坊の足は、しもやけで熟れた柿のように赤くなっていた>
◆生きるすべを知っている
辺りの焼け跡に麦が植わった光景にも重ね「みんな生きるすべを知っているんだ」と実感したベアテさん。行間を読めば、彼女がこの電車の母子に透写したのは、焼け跡の硬い土に芽吹いた麦の“生命力”だったかもしれません。
自伝でベアテさんは、実現した女性参政権に当時抱いた期待感を記しました。参政権が日本女性を苦境から解放する手だてになればと願い、「女性が幸せにならなければ、日本は平和にならない」との信念も随所ににじませて。
でも、当の女性たちはその意義に何の関心も払っていない。「ほとんどの女性が日々生きていくことに精いっぱいの日本では、それは無理もないことだった」とも。参政権や平等について、知識も考える余裕も乏しかった当時の、それが現実でした。
◆新時代のざわめき伝わる
ともかくも、こうして迎えた一九四五年大みそかの夜。ラジオに初めて流れたのは「紅白」対抗の音楽番組でした。これもつまりは「男女平等」の先取りだったでしょう。あの玉音放送からまだ四カ月半しかたたないのに、今の「歌合戦」にもつながる斬新さ。新しい時代のざわめきが伝わります。人々はどんな感慨でこの「紅白」を聞いたのでしょうか。
ただ思い直せば、当時はまだ生活苦で、悠然とラジオを聞けた人が全国にどれだけいたか。おそらくは「長い一年」をよくぞ生き延びて、ただ年を越せる感慨に浸った人が大半ではなかったか。まだ貧しい現実と、見も知らぬ理想とが同居した年末、日本人が時代に一つの始末をつけた夜でした。
しかしこの時、長い一年を気丈に生き延びた人々の自信は、新時代を切り開く“生命力”に形を変えて芽吹き始めていたはずです。ベアテさんも思いを込めた新憲法がやがて施行され、民主国家への復興を皆が自覚して、年々希望の芽を膨らませていったのでした。
そんな戦後日本の起点にあった七十年前の大みそかのことを忘れずにいたい。あの焼け跡に何を積んできて、次代に何を残すか。考えるよすがにしたいからです。
◆「18歳」初選挙も控える
さて二〇一五年のきょう大みそか。節目の一年を振り返って私たちは次世代に何を残したか。
政治家は安保法の成立で「平和の備え」を残せたと胸を張ります。その半面、安保法で次世代の人たちが戦争に巻き込まれる危険は高まります。それはまた、七十年前の人たちに対しても、私たちの贖(あがな)いきれない罪となるでしょう。
けれど、希望はあります。この夏、安保法反対デモなどで若者たちに芽生えた憲法の主権者意識です。来年には十八歳選挙権の初選挙も控えます。若者の自立がいつか新時代を切り開く“生命力”になると信じたいのです。